熟慮

おはようございます。

何かイベントのあった翌日の朝のお勤めは心穏やかに祈ることが出来ます。一人を味わうとでもいうのでしょうか、皆さんとご一緒した充実感が安らぎを覚えるからかもしれません。
人はよい意味で「孤独感を味わう」ことが大事ではないかと思っております。この事は物事をじっくりと考えることにも通じるのではないでしょうか。
目で見て、耳で聞き心で感じ目標としていくのが私たちです。見た、聞いたことで心を動かされ動機付けするのはよしとしても、ただ単に憧れだけでは事の達成は難しいと感じております。
憧れではなく、目標としたならば達することを忘れてひたすらそこに向かって「一つ一つ精進して味わって」いく、このように在ることが楽しく充実した人生とするのではないかと信じているのです。
あそこまで、これを必ずといった具合に余りにも願望を強くして日々を送っておりますと、ならなかった場合にきっと落ち込んでどうすることも出来ないのではないでしょうか。
目標に向かい、その時々を楽しむくらいの余裕、味わう人生が「熟慮」する自分となるようにも感じます。
もちろんこれは心の有りようですから、現実の仕事をしっかりとこなし行って対処することが必要です、だからこそ「一人を楽しむ」時間を作ることで「熟慮」する習慣をつけることが大事なのです。
考えるときはしっかりと考えるということでなければなりません、考えの基本をしっかりとしていなければ、日常の中で起きた問題を解決しようとしても、根本、基本を体得していなければ問題の解決にはならず、迷いがひどくなるだけなのです。
そのためには日々のスタートで静かに自分と対話することが大事となるのです。
静かな朝です、小鳥たちの声を聞きながら自然と一体となり護摩の炎と一体となります。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌