火生三昧

おはようございます。

八千枚護摩供二日目、私が一番ご利益をいただいているようです。今日は9時、午後1時、3時と三座修します、持病の痛みも忘れ護摩を修することができ、未来に確信があるからです。
空腹感はありますが、渇きはまだありません、今日は火生三昧、炎と一体の三座、専心に行じるばかりです。
先日も新興宗教で多額の物品を買わされて被害にあったことが報道されていました。何人も未来を知ることは出来ません、誰しもが不安であることに違いないのです。その心理を突いての詐欺、宗教とは名ばかり、私たち宗教家の罪でもあると反省しています。
未来は知り得ることは不可能ですが、未来を信じて歩むことが出来ることを皆さんに知って欲しいと願っています。
教えの象徴、心の象徴として御仏をお祀りしますが、物が災厄、悪運を払うなどとは申しません。
物を大事にする心は大事です。その心を大事にして家を大事にご先祖様を大事にすることが肝要なのです。物を大事にするなどということは宗教以前の話です。人として大事なことです。
このように教えて下された先人、御仏を尊敬し、感謝する、出来ていないことを懺悔することが信仰なのです。
私の寺ではお参りの実践を教えます。毎日、毎週、毎月というが如くです。お布施や物を買わせ、出費したお金の本を取り返さねばという損得の心理、感情を弄(もてあそ)ぶようなことはしません。
自分の行動を示唆するのです。ここで信じる世界を確立して行かれる人と、自分で行動しながら続かず、信じる心を確立できない人が出るのです。
私は比叡山で僧侶(人が決めた名称、地位)となったのではなく、信仰者になったのです。教えを信じる者として明日を信じて歩んでいるのです。だから迷いはないのです、苦しかったこと、辛かったことは数え切れないくらいにありました。だが迷わない。
信じているからです。
皆さんがもし富と、名誉が欲しいと真実念じているのであれば信じましょう。明日のあることを、未来を信じて。
お金や地位を得たいと考えることは悪いことではなく、得る方法、意識が問題なのです。正しく得るのか、道理に反して得るのかです。
お金を追う人はお金で失敗し、物を追う人は物でつまずくのです。信を追う者は、失敗もつまずくことも無いのです。
あなたが祈り捧げるに必要なローソクとお線香、心が信仰には必要なだけです。一本の添え護摩木百円、御仏に捧げる気持ちが少しだけ自分のことを考える事よりも多いだけでいいのです。
感謝と懺悔が未来に素晴らしい幸福の道を示してくださるのです。今日も三座無心に勤めます。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌