言葉に恥じないように

おはようございます。

昨日のNHKラジオ第二「宗教の時間」の放送、沢山の方にお聞きいただきありがとうございました。
全国の皆さんからお礼のお電話をいただき恐縮しております。信者の皆さんからもお電話を沢山いただきありがとうございました。
再放送が今週土曜日午後5時からあります、お聞きになれなかった方は聞いてみてください。
「言葉に恥じない話し」。
私たちは言葉を通して考えを巡らします。言葉はとても便利で多くの人とのコミュニケーション、意思の疎通に役立ちます。
「言葉は人格」といっても過言ではないでしょう。こう考えますとやはり「言行一致」が望ましいと云うことです。
いつも書いておりますが「会話の会話はしない」という心掛けが必要です。会話の会話をしますと平然と「言い放しをする人格を形成してしまう」からです。
自らの口から発した言葉に責任を持つということがなければ「言葉には力がありますから」行動が伴わなければ自ずと「信用を自ら貶めていく」のです。
自分では正しいことを言っていると思っていながら「信用が築けない」、「信頼を得られない」と考えている人は「言葉を大事にすべき」です。
大事にするということは「語は無機質でありながら」人の口を通すと「意志が出てくる」、「気持ちを表すこととなる」ということを知らなければならないのです。
ですから会話を会話とせず、「人格と人格が対している」と考えて話すことです。そして「言葉に恥じない行動」をするように努める必要があるのです。
言ったことが全て出来るとは誰も考えてはいません、いないからこそ「言行一致」に努めてこそ「信頼となる」のです。
その逆であれば「信頼を得られない」という事でもあるのです。言い放しの人間だという烙印を押されるのです。
耳障りの良いことを平気でいう人がおります、こういう類の人は常に曖昧な言葉でその場を濁します、何かで誘いをかけますと「行けたら行きます」という肯定とも否定とも取れる言葉を使うということです。
このような会話を常としていますと自分の行動が常に曖昧となるのです。自分で落とし穴を作って自分で落とし穴にはまるのです。このような愚かな言葉を発しては成らず、行くなら行く、行かないなら行かないとハッキリということです。
このような曖昧な言葉を発する人の共通は、強い人には弱く、弱い人には強いと言うことです。
言ってみれば主体性がない、自分の言葉として発せず、相手次第、結果「どっちつかずの人生となってしまっている」ことにも気づかない愚を犯しているのです。
気持ちは積極的だと自分では考えているのですが、考えているように現実はなっていないのは自分が一番分かっているはずです。分かっているからこそ強い人には弱く、弱い人と思える人には強くなっているのです。
「言葉は自分を導きます」、ですから言行一致を目指すことのない人間はいつまで経っても不満の世界を彷徨うこととなっているのです。
言葉に恥じないように言葉を発しましょう。言葉は力があります。その力のある言葉を力にしたいと考えているのであれば言葉を大事に使うことです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌