心は曇る

おはようございます。

私は45才過ぎから老眼鏡をかけています。日に何度か眼鏡を拭かないと曇って見えにくくなり面倒だなぁ〜と思いながらも拭いております。
「心も曇るという話し」。
眼鏡を拭いていて思うのです、心も時々磨かなければ曇ると、ゴルフも練習しないと上達せずに下手になっていくようにです。
心も眼鏡もそれ自体は純粋な輝きと透明感を持っていますが、放っておきますと自然曇ってしまうのです。
どんな職業に携わっていてもこのことは同じ事が言えるのです。野球でも歌でも普段の練習、修行がなければ下手になる。
技術でも知識の習得でも基本になるのは「心」です。この根本である心を磨かずにいてはやはり下手になっていくことは間違いがありません。下手になるくらいならいいのですが、かつて出来ていたのに後輩や後進の者に追い抜かれたり、ライバル会社に水をあけられたりしますと、どのような心理となるのでしょう、それは「疑心暗鬼」です。
「自分を自分で疑うという不安感、不信感」です。
出来ていたのに、やれていたのにという不安感、不信感。それらは皆「磨きを忘れた慢心から生じた」ことなのです。
眼鏡を拭くには眼鏡拭きという如く、拭くには拭くにふさわしいもので拭くことできれいになるわけであり、心も同じように心を磨くのに相応しいもので磨く必要があるのです。
どんなに念じても、意識で思っても眼鏡は拭かなければきれいにならないのと同じです。
心を磨くためには何によってかと言いますとやはり「聖人の書」です。聖人や偉人といわれた人の書を読むことで「崇高な精神を保つ」ことで磨かれるのです。
人生を駄目にしたり、長い時間をかけて築き上げてきた会社を破滅させたりするのは全て心を曇らせた結果だからです。
私たちの精神は崇高なものです。しかしそれすらも磨きをかけなければ曇り汚れるのです。
どのような名人上手でも方法を通して名人といわれるのです。ピアノの名人はピアノがあってこそであって、ピアノがなければ名人にはなれなかったのです。物の見方、考え方、道理を知ることは大事なのです、感謝は大事なのです。その事を気づかせ忘れさせないのが「聖人の書」なのです。
それを知れば人生怠るなどということはあり得ないのです。怠るのは全て「心の曇りから」であることを忘れてはならないのです。
今夜は「にんげん学」一宮講座、心という最も身近で忘れがちな学びを忘れずに、会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌