一を以て貫く

おはようございます。

今日はお昼から「にんげん学」東京講座へ向かいます。関東地区の皆さん待っていてください。
しみじみ思い返してみますと沢山の皆さんとお会いでき東京へ出かけられるようになったこと、心華寺や愛宕寺へご縁をいただき、またそこで多くの出会いと場をいただいたこと等々、「一つのこと」を続けてきたからこそと感謝しております。
「一を以て貫く話し」。
論語「衞霊公(えいれいこう)」篇第二に「子曰く、賜(し)や、女(なんじ)、予(われ)を以て多く学びて之を識(し)る者と為すか。対(こた)えて曰く、然り。非なるか。曰く、非なり。予は一以て之を貫けり。」とあり、論語の中でも好きな条で勇気を得る語です。
意は「孔子が子貢に向かって、賜よ、なんじはこの自分を沢山の事を学んでそれを心に記憶している者だと考えているのか、と問いかけた。(子貢は元来博学多識を以て立つ人であり、従って孔子を見るにもこの点を以てしたのであろう。)そこで子貢が、さようでございます。これは間違っておりましょうか、と答え且つ尋ねると、孔子は、間違っている。私は決して博学多識な人間ではなく、むしろただ一筋の道を以て万事を貫いて行く者である、と言った。」
この語は自分を信じ一つの道を歩んでいながらも、悩んでいた時代の私には光明でもありました。
一以て貫くとは、世の中のあらゆることを処する上において、一つの原理を以て応じていくことです。端的にいえば、孔子は仁道を以て一貫したということです。
天地は生々(繰り返し)を以て物を生じています。この生々の意味を私たち人間界に以てすれば、人を恵む「情の仁」であります。
故に仁の道は、天と人の道を結びつけるのです。仁に達するには忠恕(ちゅうじょ)の心が必要です。
忠恕とは「相手の立場に立って考えること、相手を許し認めた上で仁を行うこと」で、この忠恕を以てすれば、己と人とが一つに貫かれるとするのです。
すべてかくの如くにして一つの原理(すなわち仁ー忠恕)を以て万事に応ぜんとしたのが孔子の教えで、孔子が歩んだ道だったのです。
仁、思いやりを以て人様に接していけば「為すことを多く」して行く結果、弟子達は孔子を見て博学多識と感じ取ったのでしょう。
思いやりを以てすれば直接の助けにはならずとも「共にある思いを強くする」ことで必ず人生の道は切り開かれていくものです。思いやりこそが工夫と創造の源だからです。
この語でどれほど救われたことでしょう、知識は大事ですが、しかしただ単に目標も無く知識を得なければとの強迫観念から解放され一つのことに集中することが出来るようになった語であります。
今夜は「にんげん学」講座、会場でお待ちいたしております。
人生に障害はつきもの、「一以て貫く」ことをご一緒に学びましょう。一つのことを持てば一つの工夫だけで無限の可能性の展開となり、一つを持たずにおれば多くの悩みを生み出す人生となるのが道理でもあるのです。
今雨が降っています、東京へ行くため少し涼しくなるようにと天が撒水してくれているのかもしれません。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌