敬する

おはようございます。

新年も一ヶ月欠かさず毎日皆様とお話しが出来ました、今月もありがとうございました。
昨日は寺を朝5時45分に出て夕方5時45分に戻り、12時間ちょうど、半日かけて埼玉県北本市という所に行ってきました。
40年前、比叡山で師匠は違いますが小僧時代に一緒に修業した仲間ののっぴきならない用事で日帰りしてきました。
「久敬(きゅうけい)」。
論語、公冶長(こうやちょう)第五、十七条に「子曰く、晏平仲(あんぺいちゅう)、善(よ)く人と交わる。久しくして之を敬す。」とあり、
意は「孔子言う、晏平仲はまことに人との交際の要を得た人である。人は久しく交わると、とかくその人の欠点やあらが目について来て、次第に尊敬の念を失いがちであるが、晏平仲に限っては、長く交われば交わるほど、人がこれを尊敬するようになる。」。
晏平仲は、古代中国の齋国(せいのくに)の大夫で、名を嬰(えい)といいました。当時、衛の国内では諸党派が分立していて、その間に処する交際の道は極めて難しいものがあったのですが、晏平仲は、その何れの人からも尊敬を受けるだけの道を心得ていた、と讃えたのであります。
孔子は三十五才の時、齋に行って齋の君の恵公に謁して、この時、孔子の齋に仕えるのを妨げたのがこの晏平仲だったのです。
いわば、個人としては好感を持ち得ぬ立場の人であります。その中でこのような評語を下しておるところに、孔子の公明な態度を見ることができます。
私は日頃から出会いを大切にと考えております。人様との交際を大切にする「要」がこの論語の中に示されています。
人様と接して「あらがめにつく」ようになるのは、我欲がそうさせるのです。自分の都合で付き合いをして、意のままにならない結果、人を悪く見てしまう、これではいけません、それではせっかくのお付き合いを自らの手で壊し、自分の人格をも貶めるのです。
晏平仲とまではいかなくとも、人様とは久しくお付き合いをさせていただけるように在りたいと念じております。
尊敬するとは、ただ尊敬することであるのです。身体は疲れましたが、旧交を温めて心は爽やかでありました。
年頭に今年は同士を大切にすることを書きました。昨日は自身そのことを確かにせよとの天の教えであったと肝に銘じた所でありました。
新しい年の最初の末日、確かに反省して2月に備えましょう。
「にんげん学」京都講座から2月はスタートです、来月もスタートから祈り、学んで一歩一歩確実に歩みたいと念じております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌