支え合う

おはようございます。

昨夜は涼しくぐっすりと休むことが出来ました。今日は日曜日そして24日どうぞご家族お揃いで愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からですお参りください。ご家族でご神仏に感謝できることこそが一番の幸せではないでしょうか。ご神仏に感謝出来るようになりますと、身近な家族に素直に感謝できるのが嬉しいことです。その上安心して日々が過ごせます。それが何よりです。
「支え合う」。
家族は「支え合うもの」。支え合うからこそ「甘えることも出来る」のです。支え合いそして甘えることが出来ることが順番、これが逆であってはいけません。支え合うことが一番ご神仏の「意に叶う暮らし方」。自然は「支え合う共存共栄」の世界。支えることは「自分の力で精一杯支える」ことです。あれやこれや理屈は後です。
そして後に「こんなことができれば、あんな事をして上げられればいいな」と理屈を知りたいと考えるようになるのが人、家族なのです。
あんなことも、こんなこともしてあげたい、喜ぶ顔が見たいと、支え合う中から自然悦びの追求が始まる。
家族個々が生涯支えようとする「思いやり」を持ちますと、「無い物ねだりはしなくなる」のです。無い物ねだりは自然界ではしません。無い物ねだりをするのは精一杯の力を出していないことで起きる「妄想」です。そして支え合おうという思いやりの欠落でもあります。
自分が精一杯力を出しますと、親や兄弟が「力を抜いている、出し惜しみしている」などという愚かな「不平不満を思うような考え」は湧いてはこないのです。これは社会人となってからでも同じです。
一番大切で身近な世界での不安がない、不満がないとなれば、外の世界でも同じように力を尽くせるのです。このようにある人が「社会では、なくてはならない人」と呼ばれるのです。
以前も書きました、幸せと感じている人に幸せが舞い込み。不幸と感じている人には不幸が舞い込むのが道理だからです。
支え合うということは理屈ではありません、黙々と働いていますと自然、体(からだ)が悦び楽しくなり、自然体が動くのです。だからこそ続けられるということでもあるのです。
楽しくご一緒に祈りましょう。身近な人を疑う人生ほど寂しい人生はありません。家族の幸せを祈り、支え合う家族でありたいですね。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援します。