三不祥

おはようございます。

去るといわれる3月、諺の如く本当にあっという間に過ぎ去ったようです。今月のご愛読ありがとうございます。しっかりと一ヶ月の締めを行ったことと思います。反省をしてこそ明日があります。
「三不祥」。
「さんふしょう」と読みますが荀子(じゆんし)に説かれています。不祥とは「不吉であること、運の悪いこと」をいいます。
一、幼にして而(しか)も肯(あえ)て長に事(つか)えず。
二、賤(せん)にして而も肯て貴に事えず。
三、不肖(ふしよう)にして肯て賢に事えず。
が三不祥。幼くして目上の人に事えないということは、いとけなくして「敬する」ことを知らないということです。
敬がなぜ大切かと言いますと、私たちの向上心や向学心というものは「尊敬する心、気持ちから」生じるものです。現実に満足しない、即ち無限の進歩向上を欲する精神的機能が発して「敬の心を持つようになる」のです。野球少年や、サッカー少年がスターを尊敬するように。
換言すれば「現実に甘んじないでより高きもの」、「より貴きもの」を求めるという心が「敬」なのです。
そうすることで「相対性原理」によって、人を見て「みずから省みて必ず恥ずるという心が湧いてくる」のです。恥ずるから「慎む」ようになるのです。敬は恥を知り慎みの「心を活かす」パワーになるのです。慎めばこそ物事に励むことが出来るのです。
私たちは純真に敬するという心を持って生を受けました。あきらかに「敬の対象を求める心が内在している」のです。故に様々な分野で活躍している人に尊敬の念を持ち憧れるのです。
先生を侮る、友達を侮る、先輩を侮る、このようなことであっては人生の展望はなく、「不吉なことを生み、不運を招く人生を作り出す」ことになるのです。後の二つも同じ事で、自分を蔑むのではなく、仕えることが大事、孔子も「賢を見ては斉しからんことを、不賢を見ては省みる」といったごとく。出来ていないにもかかわらず賢に仕えることもできず、学ぶことも出来ないようでは、友もできず、仲間も出来ないという寂しい人生を自ら招くのです。
このような三つの不祥を招く原因は己であることを知らねばなりません。因果応報である道理をお忘れ無きよう。
明日から4月、明日は4月第一日曜心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭並びに花祭り」。お参りをお待ち致しております。お釈迦様のお誕生を祝します。新一年生の皆さんにはご本尊様から素晴らしいプレゼントがあります、新一年生のお子様をみんなでご一緒に祝福致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。