独りの楽しさ

おはようございます。

朝一人静かに灯明、線香を立て、読経瞑想するのがたまらなく好きです。堂内でありながら天地と一体になっている感じがします。大げさな表現かもしれません、自身の声も鉦の音も何かしら他の物と一体となっている感じが快感を覚えるのです。
心が自由であり何の妨げもない、ここ数年の感覚です。力を入れて瞑想も読経もすることが無くなった、導かれていると表現することが一番かもしれません。御仏は何ごとの願い事もお聞き届けくださるという安心感。
「独の楽しさ」。
独り在る事が一人ではないことを実感するのです。今までは特定の人や状況でなければ、という思いがあったようです。それぞれの違いをそのままに感じ取れるのです。
変な話ですが、易者さんの口上に「前に座ればピタリと当たる」といような口上がありますが、まさしくそのような思いがするのです(自惚れているようですが、認められたいと言う小賢しい思いが無くなったのは自分で言うのもおかしな事ですが事実です)。何でという理屈では計れない感覚です。人は活かされているという実感、誰にとかいう小さな世界ではなく、あらゆる物、この宇宙すべてにその存在を許されているのだという喜びです。
人生に困るという情況が生まれるとしたらそれは全て「心が作り上げたもの」です。であるならば誰も怨むことはなく、感謝しかないのです、気づかせてくだされたのですから、それでこそ心は解放され自由になるのです。
人は何ごとかに自覚し感動し始めたのにそれをいつしか感動を忘れ評価を願ってしまう、かつて私がそうであったことに気づきました。だから不自由であった。
自分の為に行っているのに、人様の役に立っているという傲慢、このような思いは恥ずべき思いだと知ったのです。
このような恥ずべき思いが少なくなって来たときから独りの楽しさが一層増したようです。しかし未だこのようなことを言っている間は本物にはなれないのでしょう。今日も遠路宇佐からお祓いに来られます。無心に清めの祓いの文を発するのみです。このお言葉が又楽しく勇気をいただくのです。
今日から心華寺ではM&Uスクール、受講生の皆さんしっかりと学んだ後連休を楽しんでください。世間では大型連休の始まり、皆さん気をつけてお出かけください。
明日は午後2時から愛宕寺は「花祭り」です。お休みですご家族でお参りを、お釈迦様のお誕生をご一緒に祝福しましょう。私たちに慈悲と理性の素晴らしさを示してくだされ、どんなに迷ってもお見捨てにならないのがお釈迦様の教えです。
差別相の社会に祈ることでその差別相に平等観を示し勇気を与え希望をもたらしてくだされたのがお釈迦様です。祝福すればどのような困難に出遭ったとしても克服できます。困難のない人生はありません。ご一緒に祝福ください。
お釈迦様がお誕生された折り龍神様が産湯に甘露の雨をふらしました。それに習い甘茶を灌いで祝福の心を示します。祝福の心を甘茶を灌ぐことで表す功徳は計り知れないものです。
お釈迦様の誕生を祝福することはお子様、お孫様のご守護が約束されます午後2時からです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。