着る物

おはようございます。

服装によって随分気分が変わります。「体は心を表す」とはまったくその通りで。服装、態度は大切に考えるべきです。人は印象によって内面は分からないまでも判断しようとします、それも自分の価値観で。年相応の格好、立場にふさわしい服装ということも大事です。それを十分に踏まえた上で。
最近私は外出するとき意識して作務衣を脱いで洋服を着るようにしています。(それも若者が着るような物を着て、おいおい65のジジイだろうという声が聞こえてきます。だいたいが年寄り若者という定義自体がおかしいとは思っている。着る物は好むと好まざるとに関わらず生まれてきた時代の流行で決まるように思っているからである)。
着る物で中身は変わるわけではありませんが、人様の反応が面白く、それを楽しんでいます。悪趣味だと叱られるかも知れません。着る物一つで見方が変わることを楽しんでいます。そして新たな発見のあることも自分で驚いても居る。何とこの世にはいろいろな着る物の種類がある物だと。最近は一人ででもウインドウ・ショッピングをする楽しみもできた。
いくら若者ぶってもじっと見れば一目瞭然、皺はある、肌に弾力もない、引力には勝てない、恥ずかしくなるときはあります。しかし自分は自分だと開き直っても居る。そして心境を変えるという無謀な挑戦も楽しんではいる。
「着る物」。
普段は作務衣そしてお勤めは衣、時と場合によって衣も色も替えて着ますし(だいたい衣の色くらい派手な物はないと思ってもいる)。外出は上にも書きましたが洋服、もちろんゴルフの時はゴルフ用のスタイル。不思議なことに最初は着る物によってやはり気持ちが変わっていたようです。
私はいろいろといただいた物を着ていますので「弘法筆を選ばず」が如く、いい男だから何でも似合っていると錯覚しているところが自分でも良い性格をしているなあ〜と自画自賛はしています。だから何でも似合うのだと自惚れ一人悦にも入っています。
最近はやはり着る物で性格を変えてはいけない、惑わされていけないということに気づかされています。
何だ、そんなこと当たり前ではないかと叱られるかも知れませんが、変わって変わらないということが大事だということを言いたいのです。そうしませんと、馬子にも衣装で、ただ単に服装を替えることによってあたかも人間性が変わったように錯覚してはならないということです。
よく言われていますがブランド物を持っていたり着ていたとしてもブランドを持つにふさわしい人間かどうかということです。私の世界も衣の色で位階が違います。高僧の着る色の衣をいくら着たとしても中身が伴わなければ猿が着たのと同じで位負けをするのです。
服装を替えて相手の反応を見るのが最近のちょっとした楽しみ。皆さんお許しください、悪意があるわけではありません。
ふと考えたことがもう一つあります。若いときは早く年を取りたい、今は若作りをしたい、結局は私は大いになる凡人、今までの修行は何の為であったのか、いや、個人の世界と人様のお役に立つのとは違うのだ、などと一人言い訳じみたことも考えてはいるのです。考えている事態凡人の証ですね〜。
まあ脳みそのネジが一本ふっ飛んで遅咲きの桜が咲いたような物、ジジイの戯言だとお許しあれ、このようなことを書いてはいますが、本気で楽しんでいることは間違いがないのです、ハイ。さてこれからしっかり衣を着てまじめに坊さんになりお勤めをします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。