批判

おはようございます。

いやはや凄いですね、衆議院議員選挙の結果、いかに言行一致が大切かを前回の選挙の時も目の当たりにし、今回はさらに怒濤のごとくそのことが押し寄せました。自分の生き様を振り返りますと人ごとではすまされません、「人の振り見て我が振り直せ」。
「批判」。
批判、批評は決して悪いことではありません、己を高めようとしたときには正しい批判、批評は仰ぐべきだからです。しかし「人を責める」ようになってはいけません、なぜいけないのかと言いますと、批判をする者が「己が出来ている、言行一致している」と勘違い、錯覚を起こしてしまう危険性がある、それ以上に「聞いている側にもできると錯覚を起こさせる危険性が大いにある」からです。そして社会の混乱を深くする要因を作ることになる。
論語、里仁第4、17条「子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる」。
意は「賢い人の言動を知ると、自分もそうなりたいと願い、愚かな人の言動を知ると、自分はそうあってはならないと反省する」。
どうですか、この孔子の在り方、この度も批判、批評が上手いからといって言行一致するかといえば「それはなかなかだ」ということを思いっきり知りました。このことは自分自身に先ず問いかけるべきだと、選挙の結果を見て論語のこの条を思い出し、大いに反省したところです。
また孔子の弟子の曾子(そうし)がこんなことも言っています、学而第1、4条「曾子曰く、吾、日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。」。
意は「曾子いう、自分は毎日、自分が行った事について何回となく反省する。その反省の事項は、第一に、人の相談相手となって考え計ってやる際に誠心を尽くさなかったのではないか、第二に、朋友と交わっておる際に信義を尽くさなかったのではないか、第三に、まだ十分の実習もなくて、我が物となり切っておらないものを、口先だけで人に伝え教えはしなかったかという、三つの点である。」。
孔子も偉大であれば、やはり弟子も偉大です。人に話す立場にいる私は先日の選挙で大いに考えさせられました。「論語読み論語知らず」とならないようにしなければならないと戒めています。
今日も皆様に取り素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は宇治に帰りいつも感慨深く眺める宇治橋、朝霧橋と塔の島の風景、JR奈良線の車中から。宇治川の上流は琵琶湖、比叡山はその側にそびえ立っています。いつも宇治橋を渡るとき上流に手を合わせ私が住んでいる地に法が流れ込んでくださるという感謝の思いで通っています。
そして流れの途中で濁らせてはいかんという強い思いをしています。「上 濁れば、下 濁り。上 澄めば、下 澄む。」(孟子)。