はずむ感度

おはようございます。

やはり年末の繁華街はにぎやかです。にぎやかなことは大いに結構なことです。特に若い人たちに活気があるのがいい、私も「にんげん学」講座がなければ夜に外出するなどということはありません。やはり世間を肌で感じることも大事です。知らないで良いことも沢山ありますが、蛮勇を出す必要はありませんが、避けてばかりではどうしようもありません。肌身で感じ気配で進退を決めるのも人生大事な感覚です。
「にんげん学」小倉最終講座ご出席の皆さんありがとうございます。一年はあっという間です、年12回、一日という大切な日を万障繰り合わせてご出席いただきましたこと感謝致します。来る年も共に学んでまいりましょう。お体大切に良い年をお迎え下さい。来る年もお会いできますことを楽しみにしています。
万障繰り合わせるという工夫が出来るようになりますと、仕事等何事においても様々な工夫が生まれます。ただ単に仕事だからという事で一考もしないようになってしまっては工夫という思考能力を自ら閉ざしてしまう危険性がありますので要注意です。
山本常朝(じようちよう)が書いた「葉隠れ」(江戸時代の中期に書いたとされる武士の心得)に「大事な思案は軽くすべし、小事の思案は重くすべし」という言葉があります。物事を成就出来ないと考えている人はこの格言を実践することもいいかもしれません。心華寺文庫にありますのでご一読下さい。経文にも「大事に驚くな、小事にこころせよ」とあり、二宮尊徳は「積小為大」とも。
「物事を為すは、はずむ感度で」。
私たちは自分の人生の目標は確かにしています。確かにしていれば何も悩むこともないのです。悩むのは「欲」で悩んでしまうのです(評価、嫌われるのではないか等々、これらは何の根拠もない)。人生を時間を掛けて考え進めば「ベストな状態になるのか?」といえば、「そうとは限らない」のです。
しかし重く考えてしまう人や、事がならないと考えている人は人生を数学を説くような感覚で割り切ってから、理解してからと相手を計っているのではないでしょうか。(もちろん人様を知り己を知ることは大切です)。
要は「打っても響かない」人間ではいけないということです。慎重にするのは己の学びであり、確かに修養を積むことで、先日も書いていますが、真の修養は「世間の中から」ですから、いくらでも修正ができ、学び直せるのです。「転べば立ち上がり再び歩き出せば良い」だけのことです。
出会いに心弾むような出会いをしないため、打てば響く、はずむ感度も鈍くなるのです。自身の知識と人様の知識は違うわけですから、知識で和、調和をしようとしても調和のしようもないのです。ソフトの入っていないパソコンからアウトプットしようとしてもムダなようにです。私たちは豊かな感情を持つ人間であり、機械ではないのです。
人間性で打てば響く、弾むような出会いをすることで人間関係の調和を図れるのです。重い人生を余り重く考えず、ソフトに受け止め、日常の事柄を重くすれば、良い出会いは向こうからやってきます。そして人生も上手く行くのです。今日も素晴らしい一日でありますよう。
下関の皆さん、九州地区の皆さん一年お世話になりました。来る年もよろしくお願い致します。これから宇治に帰ります、新年7日に帰ってまいります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
今年最後の「お多幸」さんの美味しいお料理の写真を載せようと試みたのですが、どうしても上手くアップできませんでした。明日再挑戦します。マスターごめんなさい。お多幸の皆さんよいお年をお迎えください。