多様

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございます。いつも書いておりますが「共に」ということは嬉しく勇気が湧いてきます。以前孤独感を感じていたとき世間の人様を見て「あぁ皆さんがんばっているんだ」と考え自分を励ましてきました。
今では各地に共に祈り学んでくださる方が多勢在りコツコツと歩んで来て良かったとしみじみと思います。
「多様」。
人生を考えますと、周囲に様々な方の存在があり支えられています。これは私に限らずどなたにも言えることです。何かに行き詰まりますといつも周囲の方々を拝見し自分自身を励ましてきました。「私だけではない、みんながんばっている、夢に向かっている」と。
一昨日の里坊の石垣を見ても同じ事です。様々な形の石、大小があるからこそ綺麗に積み上がり美しいのだと。石は物であり、石自身が意志を持ってはいませんし主張もしません、石を見る人が「どのような石でも生かさなければ石垣が出来ない」ことを知ったが故ケースバイケースで「どの石にも価値を見出し積んでいく」のです。
このように現実を見たとき私は「自分で自分の存在価値を確かにすることが大事」と考えました。この時改めて「一隅を照らす、ポストにベストを尽くす」ことに目覚めたのです。目の前の事に無心に尽くそうと。人は意志を持っています、物ではありません。だからこそ無心になることが大切だと考えたのです。
こんな事はいやだ、なんでこんな事を自分がと、我欲に翻弄されたとき、一つの形としての自分が美しくなくなるのではと考えたのです。周囲にグチを言い、不平をまき散らし、暖かく豊かな人がポストを与えてくだされたとしても、結局は不平をいう、このようではどこにもポストはなくなります。
無心になることは難しい事ですが、「こう生きよう」とすることが人生だと考えてきました、いわゆる諦観(対象をハッキリすること)です。意識して無心に指示命令に従いました。
固定観念で枠を決めていたときは不自由感でいっぱいでしたが、与えられたポストにベストを尽くすように為ってから「やらされることが楽しく自由な心になった」のです。やらされたことで「世界が広がった」からです。自分の価値観に「どんどんプラスされた」からです。
周囲の多様性で私は広い世界を知りました。己で価値観を決めることも大切ですが、人様が見てくださる価値観も大切だと師やいろいろな方に教えていただき気づかせていただいたのです。真理は誰でも生かせるから真理であるのです。指示され新しい世界が開かれることを体感したとき言葉では表せない快感を感じることが出来ました。老子の言う「心の快」です。
不快なことは何をやっても続きません、ポストにベストという諦観を持ったときから、指示された世界から新しい展開が始まる快感を知ったのです。そして指示されたことから又新たな工夫をする快感も得ました。
幸せの価値観とは個々人が違って良いはずです。地位も収入も物質的な事も人様と同じでなければ幸せでないと考えたときから不幸の淵に陥るではないでしょうか。自身の諦観を持ち楽しく歩むことが人生は豊かであると考え今日まで過ごしています。いろいろと多様性があるからこそ美しいのだとも思うのです。
違って当たり前という思いを持っていながら、逆の生き方をしていくほど悲しく辛い人生は無いでしょう。幸せは一定ではないのです。春の優しい暖かさがあってこそ木々の芽が膨らみます。外の刺激があってこそ自分の中に眠っている可能性、才能の芽も膨らむのです。
今日は「NPO・心の華・ハートランド」設立準備委員会を午後から有志の皆さんにお集まりいただき開きます。きっと楽しい意見が交わされるのではとワクワクしています。じっくりと進めてまいりたいと思っています。皆さんも是非お力をお貸しください。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
心願・大願をお持ちの方は21日、100日、1,000日まいりをお勧めします。
写真は「にんげん学」大阪講座ご出席のKさんの手作りのサンドイッチと、あの話題の美味しい「ミカン大福」制作、伊丹・寶樹庵Yさんの生菓子。KさんYさんごちそうさまでした。毎月皆さんのためにありがとうございます。