与える喜び

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございます。老子の「一(いつ)」を得る大切さ大事さ、起点がなければ何も始まらない、人生設計を描けないぞという表現、当に、まさにと感心しました。私たちは外物に犯され起点がぶれてしまい、折角の能力を生かせず迷うだけに使っているようではいけないぞ、と老子は叱ってくれているようでもあります。
大地は「揺るがないという一」であるゆえ大地の存在であり続けられる。私たちも揺るがずに「人様を乗せ、人様を活かすことが出来る一を持つべき」でしょう。
一日研修の皆さんありがとうございます。大切な「一日」としてください。何か「一つ」学んでくだされたことを実践ください、事上磨練をお忘れ無く、ご活躍をお祈り致します。
「与える喜び」。
不平や不満は何故起きるのでしょう。それは「得たい、欲しい」という我欲からです。喧嘩や争いを起こしたりするのは全てこの我欲からです。楽しい人生をと思いながら不平不満を持ってしまうということもおかしなものです。余りにも自分の思いだけを強くし、相手を思いやる気持ちを無くすからです。
不平や不満を解消するには少しの気づきでいいのです。得たい、欲しいという思いではなく「与える喜びを知る、分かち合うことを知る」ことです。先日のこどもの日や今度の日曜日の母の日では、親は子供に与えることを喜ぶからこそ無心に与えることができるのです。母の日のプレゼントでも同じでしょう。与えることは悦びなのです。率先して与えることでその喜びを分かち合っているのです。
プレゼントをもらえば誰しも嬉しいですし喜ばない人はいません。それを知ったならば「与えるべき」です。与えて「共有する喜びもある」のです。物に限らず、優しい言葉、挨拶、笑顔、人の為にする行動、お手伝い等々、与えることから得られる共有感の喜びがあるのです。
それらの喜びを知ったならば、得たい、欲しいという狭い世界での不平や不満などはあり得ないのです。我欲の満足はあり得ません。次から次へと欲望というものは増してくるのです。塩水をいくら呑んでも渇きが癒されないように。
与える喜び、分かち合いを知りますと、喜びが際限なく続きます。そして喜びの共鳴、響き合う仲間が増えます。
我欲であることを知らず不平不満を持ち続ければ孤独となり、与える喜びに生きれば楽しい仲間が増えるのです。そして人生に素晴らしい展開が待っています。喜びが喜びを生みその喜びが世界を推し広げていきます。与える喜びというものはこんなにも素晴らしいものなのです。私の一は与えることの喜びです。
今日も素晴らしい一日としましょう。そのためにも優しい言葉、笑顔、無心にできるようにしたいですね。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は先日まで花が咲いていたと思った梅が実に、そして筍が竹になりかけています、成長すると着ていた物を一枚ずつ脱いでいきます。過去に縛られず、経験体験を栄養としなければ成長はないよ、と教えてくれているようです。部屋から見える景色はもう青々と繁りました。余りにも夕日がきれいでしたので、民家と電線の間で生活感を感じましたのでパチリ、お天道様が「ごくろうさま」と言っていてくれているように思い感謝しました。朝日の輝き、夕日の優しさ、お天道様に一日中守られています。手を合わせましょう、みなさん。「にんげん学」大阪講座の懇親会。寶樹庵Yさん柏餅をありがとうございます。






明後日10日(金)心に華を咲かそう会本部、第14回・「東日本大震災復興支援」チャリティゴルフコンペを京都府城陽市「東城陽カントリークラブ」で開催します。皆様の暖かいご支援と参加者を募集しております。どうぞエントリーください。お待ちしております。(お申し込み:0774−44−5380までお願いいたします。)