ほどよい距離感

おはようございます。

師の前に出ますと良い緊張感が得られます。緊張するのは良いことだと思っています。それによって礼を失しない自分が作られるからです。礼儀はレスポンス(応対、対応)です。縁を縁とするためには人間関係を「ほどよい距離を保つ」ことが大事です。「君子の交わりは水のごとし」などという教えもあります。
荘子・山木篇(さんぼくへん)」に「君子の交わりは淡きこと水の若(ごと)く、小人の交わりは甘きこと醴(れい)の若(ごと)し。
君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ。
彼(か)の故なくして以て合する者は、則ち故なくして以て離ると。」。
意は「君子の交わりは水のように淡いが、小人の交わりは甘酒のように濃厚である。
小人は濃いつきあいをするが関係は希薄である。深い理由もなく結ばれた関係はまた、深い理由もなく壊れるものだ。」。
正に当にと荘子の教えに肯いてしまいます。君子の友情を水のように淡いとしています。それは川底が見えるほど透き通っている水であり、私心や我欲、雑念のような濁りはどこにもないということです。
古来から、水は人間の性情を表す重要な象徴として使われています。上に書いたような心境に近づきたいと思っています。老子は、「最上の善は水のようなものだ。水は万物の役に立ちながら、争うことがない。誰もが嫌がる低いところに流れていくからこそ、道に近いといえる」と老子・易性(えきせい)第8章に説いています。孔子は、「知者は流れる水を好み、仁者は動かぬ山を好む」と論語・雍也第6に説いています。
このように、君子のような交わりは水のように清冽(せいれつ。清らかで澄んでいて冷たい水)かつ淡々としており、互いに争うことがないので、歳月が経つほど深いつきあいになるのです。
おかしな事を書くようですが、師について学んだのは昨日も書いていますように、まったく自分の都合です。自分の都合と言いましても、物理的に何かを得よう、位を得たいというものではありません。私が学びたいと心底思っていることを師に就いて学ばせていただいたということです。利害は何もなかったということです。
気に入られたいとか、僧として位を上げたいとかいう思惑も何もありませんでした。師のお話をお聞きして、ひたすら至誠と実行を貫きお仕えしたつもりです。
ですから同じスタンス、距離感を保ち従うことができたのです。それが「縁は切られても、自分からは切らない」という私の人様に対するスタンスにもなりました。「人様はすべて我が師」です。出会いという実践の場によって己が高められ磨かれるからです。
年を重ねれば重ねるほど「淡き水のごとく」の心でおつき合いさせていただくことが大事だと強く思うようになっています。多くの方が礼を以ておつき合いくださるからです。頭を下げてくださる方が増えるからです。そこで人様に対し「こうでなければならない」という私心、慢心が頭をもたげない、顔を出ないようにと、昨日師のお顔を拝見し、お言葉をいただき胆に銘じ帰ってきました。
昨日入山しました研修生の皆さんに謙虚にお話をさせていただき、何か気づくことのできるお手伝いができるようにしたいものです。また今日はM&Uスクールの受講生の皆さんも入山されますので、同じように謙虚に接し学んでいただきたいと願っています。素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨年末の3日間プチ修行に引き続き、今回は高校卒業前に10日間の修行を体験、北九州の「にんげん学」講座にも出席いただいているGくんです。昨日元気にお昼から帰りました。G君お疲れ様でした、またお出でください待ってます。

不登校・ひきこもり自立支援・一時避難のオアシス「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」はいつでもお電話での相談を受付ております。0774-45-5561までどうぞ、お待ちしております。メール相談も承っています。e-mail shiba@kokorono-hana.com。HPもご覧下さい、ご両親のダイヤルを回す、キーを叩く少しの勇気がお子様の希望の火を灯します。