一年ありがとうございます。

おはようございます。

平成27年、一年間のご訪問ありがとうございます。お陰様で一年間書き続けることができました。一重に皆様のお陰であります、感謝致します。
年頭に今年度の「運勢の行方」を書きました、今年の一年の指針を覚えておられますか?「因循姑息(いんじゅんこそく)にケリをつけて勇敢に進む年」です。いかがですか、ケリをつけましたか。自分で自分の欠点、因循姑息な点を自覚することはとても難しいのではないでしょうか、私は、欠点や因循姑息さを、このように捉えケリをつけようと精進しました。
それは、人様と会話をした場合、何か意識に引っ掛かかりムッとしたことが因循姑息、短所だと捉えて一年を過ごし、ようやく「一年をかけてケリをつけられたかな?」と、ようやく新しい年に勇敢に進めそうです。
論語、衞霊公(えいれいこう)第15、20「子曰わく、君子は諸(これ)を己に求む。小人は諸を人に求む。」という孔子の教えを初めて知ったようです。意は「孔子言う、君子は何事も自分に求め、自分に責めるが、小人は是に反して、何事も人に求め、人に責める。そこに君子・小人の別がある。」。
論語読みの論語知らず、とはよく言ったものです、私のことでした。恥ずかしい限りです。この教えは善悪両面についていえます。「君子は己の過誤を責めることは厚いものだが、人の過誤を責めることは薄い。小人はこれと反対」、ああ、まったく「私は典型的な小人」、だから因循姑息な性格を作った。
また「事を行う場合に、君子はみずからそれだけの実力があるかないかを内省する」、「小人は自分の能力の有無を省みず、人に己を買ってくれる、評価してくれることを要求していく」。
「これみな人に求め、己に求める別」なのです。しかし、このようなことを確かにできたのも、年頭に指針を立てたからこそだと思っています。「一年の計は元旦にあり」とはよく言ったもので、ありがたいことです。
「六十耳順」という孔子の言葉もあります。「六十にして耳順う」ということです。人様からどんな話しを聞いたとしても、「何故目の前の人が、このような話しをするのかが分かる」というのが、耳順です。耳に逆らうような言葉を聞いたとしても、「何故そのように言ったのかがわかる故に、確かな対応ができるということ」です。
修養する、学ぶことは大事を知った一年でもありました。必ずいつか己の非を知り目の前の霧が晴れるように、心のわだかまりがなくなり、晴れやかに清明な気持ちとなります。
孔子が尊敬していた人物に「蘧伯玉(きょはくぎょく)」という方がおられますが、この方は「五十にして四十九の非を知る」と言われ、毎年毎年己を改めていたというのですから驚きです。己の非を知ることほど至難の業はないのです、大晦日にあたり、六十九を前にして六十八の非を知り、皆様に感謝致します。
晦日の今夜は午後11時30分より「平成27年度・越年・108煩悩消滅・お礼護摩供」並びに「平成28年・迎年護摩供」を厳修いたします。27年度の神々に感謝のお礼を、そして皆様に感謝の祈りを致しまして、心を爽やかに28年度の「新玉の神々にご守護を願うお祈り」をご一緒いたしましょう。一年ありがとうございます。素晴らしい丙申のお年をお迎えください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
愛媛・八幡浜「一生園」のOさんからお正月用のお供えを送っていただきました。一生園さん毎年たくさんのお供え感謝致します。よいお年をお迎えください。