ただただ

おはようございます。

昨日は寒の入りでした、やはり寒いですね、冬は寒くなければいけませんね、そして今日は七草、お粥をいただき体調管理を十分にしましょう。
日々ブログを書き、祈りからのスタート。良いことを書こうなどという衒(てら)いを持たずただただ思いついたことを書かせていただく。また何かのために祈ろうという思いもありません、仏法は慈悲を説き、御仏は必ずや困難に陥ったとき眼前に現れ助けてくださるのです。祈りは万民の幸せを説いています。
ですから、皆さんからの願いを、ただただ祈り無心に修する、成就の世界があるのです。
自分の力でなどという、そんな欲な気持ちでは、祈りにも学びにもなっていないということがしみじみと実感したからです。
学問は無心に実践すれば道理の如く歩むことが出来、実現するように説かれてあり、多くの発見もあります。仏法は祈れば必ず法が説き示す世界へ誘うのです。
今まで人様には、法に仁無し、天に私無しなどと偉そうに話しながら、気負って説き、学び、祈っていたことを八千枚護摩供を修していたとき、何か?おかしいという気持ちが湧いたのです。
ただただ、学べば、ただただ祈れば良いことなのだと、年越し新玉の神々をお迎えしたとき、「あっ」と体の中を稲妻が走ったのです。何も気負うことなど無いのだ、ただただ祈り、学ぶことだと。
躍起になったり、気負いこんだりしていたのは、信じていたのではなく、評価を気にしていたのだと、年明けから何かお勤めのとき、感覚が違うのです。誠澄に半年ぶりか、それ以上になるかも知れませんが、久しぶりに休みを上げ、朝一人で愛宕寺と同様にお茶、お水をお供えして、お勤めの準備をする感覚も違うのです。何か心穏やかなのです。気負いがないのです。
祈り、学べば必ず目標へ到達し、祈り学びがそのものが幸せの世界なのです。知行合一とは、孝を知れば孝を行うことです。信じることが漸くこの年で体得したようです。明日は愛宕寺の「年賀式」午後2時からです。ただただご本尊様へご挨拶をしましょう。黙って祈ればあなたが願うことが眼前に表れます。
物や地位を追って祈り学んでも、途中で投げ出すことになります。地位は人様が決めた事、そんなことに躍起にならずとも、目の前の事を無心にイキイキと感謝と謙虚にただただ働けば、自ずと向こうから招くのですから。
花は無心に咲いています。人様に対するにしても、ただただ無心でしょう。ただただ祈り学びましょう。そうすれば楽しいことばかりです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
万両の色が鮮やかです


ふと目をそらしますと、石蕗の綿帽子の花が

南天


桜の根元で、ここにもと呼んでいました