先ず人様を

おはようごいざいます。

愛宕寺「年賀式」おまいりいただきありがとうございます。年の初めに違えずにおまいりご挨拶いただけることはとても嬉しいことです。寒く冷たい雨の降る日、一層嬉しく素直に喜び、そして感謝です。皆様の優しさを感じる事が一番嬉しく幸せです。
おりおりの行事に皆様のおまいりのお姿にいつも優しさを感じ私が癒やされます。「あぁ皆さんが御仏だ」と。そして勇気をいただき本分を確かにするのです。
愛宕寺のご本尊様は「火防大将軍地蔵」(いわゆる火災を防ぐこと、人生の悩み煩悩の業火を消滅させてくださるお力があり、何事かを願えば、ありとあらゆる障害を取り除いてくださる将軍)です。皆様とご一緒に読経しています「地蔵菩薩本願経」に説いています話しを少し,
「かつて二王がいて,一王は自ら悟ってから衆生を救おうと考え,一王はまず衆生を悟らせてから自らも悟ろうと考えた。前者は一切智成就如来(いっさいちじょうじゅにょらい),後者は地蔵菩薩である。云々」。
愛宕寺の「火防大将軍・愛宕大権現」様も心華寺の「金港辯財天」様も同じです。本来は覚りに至る力量、実力がおありなのです。本願(衆生(私たち)を救済するために立てた誓願。生涯やり続けること)を大切にしています。いわゆる自分で誓ったことをやり通すということが火防大将軍愛宕大権現様であり、金港辯財天様であります。
上記の話のどちらがありがたいかといいますと、「自分が仏になってから救ってあげようと」するのと「衆生を救うまでは自分は仏にならない」というのでは当然私のような凡夫には「火防大将軍・愛宕大権現」「金港辯財天」様がありがたいのです。
いくら学問を積んだとしても「自分が先にという人間にだけはなりたくありません」。「共に」でしょう人生は。喜怒哀楽を分かち合える、理解し合える、支え合える。共にという中には「社会の為に、周りの人々のためにという精神がある」のです。でなければ「自分が先にと同じ」です。
単なる仲良しではない同情ではない、時には叱り、注意し、時には励まし合い、泣き、そして笑う、しかし「共に物心が繁栄し豊かに生きる」ことです。昨日皆様と年始の挨拶をすませ、一息入れましたら地蔵経の一説が頭をよぎりました。
私は「人を信じます。人の情けを信じます。人を信じてこそ人間だとも思っています。ただただ信じます。」。「人は一人ではどうしようもないことがいくらでもあるのです」。だからこそそれ以上に「教えを信じます」「教えを心に」「教えを言葉に、行動に」と考えます。人間は理屈は何物にもつけられます、理屈ほど当てにならないものはないのです。その勝手な理屈で自分を窮地に追い込む。
だからこそご本尊様のように行動する私でありたい。何かあったとき「恥ずかしがらずにすがるのです」。「人様にすがり、御仏にすがり」。事が解決したとき「何倍にしてもお返ししたいと、ただただ思っています」。
皆さんご一緒いただきありがとうございます。今日から三連休ですが、大事にお過ごしください。共に歩みましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
皆さんへのお供養の「七草粥」です。おまいりありがとうございます。