生きていることが楽しい

おはようございます。

5月、皐月(さつき)無事終えそうです。「九十九里を半(なか)ばとせよ」という教えもあります。あと一歩で力を抜いてはいけないという俗諺(ぞくげん)(世間で言われていること)です。世間で言われていることは結構当を得ています。大切にしたい言葉です。
言葉が何故大切なのかということは毎日のように書いていますから充分とは思いますが、「精神となる、精神とできる」からです。
☆精神とは「心のはたらき。物事に対する心の持ち方。気構え。気力。」をいいます。
精神力、やる気だけでは、如何ともし難いことは、これまた充分に知っておりますが、やはり精神力は何かを達成させるための第一歩ですので大事です。人柄ともなりますので、精神、心の置き所は大事です。
行動せずに後悔することほど悔しいことはありませんし、自分を完成させることもできず、どっちつかずの人生、「ああすればよかった、こうすればよかった」と、「自分がない人生」としてしまいます。自分を確かにもせずに、誤解を招くような人生としてはいけません。
「にんげん学」講座で神戸、一宮、東京の講座で「論語」を皆さんとご一緒に読んでいます。論語の冒頭、学而(がくじ)第1の第一番目を読みますと「生きていることが楽しい」という精神になります。「生きているということは、実行することだ」ということを確かにできるからです。「学ぶのは手段ではない」のです。間違えてはいけません。人生は悩むのではなく、「ああしよう、こうしよう、ああしたら、こうしたらと考えることが楽しい」のです。
行動せずに悩んでいることは堂々巡りでただただ苦しみの時間を延ばし、暗黒の世界にどんどん入りこむしかないのです。何で行動できないのか、「行動する前にまだ来ない結果を気にするからです」。このようなことは「今日でやめにしましょう。」
何度も書いていますが第1条です。「子曰わく、学びて時にこれを習う。亦た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)、遠方より来たるあり、亦た楽しからずや。人知らずしていきどおらず、亦た君子ならずや。」。
意は「学んだことは復習しよう。わからなかった事がわかると楽しいだろう。友人が遠くから訪ねて来たとき、学んだ事について語り合えれば楽しいだろう。周りの人に認められなくてもくさるなよ。それが本当の人物というものなんだから。」
いかがです、お読みになって、私は19才で比叡山へ、31で心華寺に入山、30才後半まで、人に知られることはありませんでしたので、ただただ「ポストにベスト」という伝教大師様の教えと、この条を「頼り、精神の拠り所としていました。」
この条には三つの内容があります。三番目は先の二つとつながっていないように思われますが、「人知らずしていきどおらず」を、「学問をしていること自体が楽しいので」、「自分の学問を人に知られなくてもかまわない」というように解釈すれば、三つはつながるのではないか?と思います。
孔子は、学ぶこと、「それ自体を楽しむ事で」あり、「さらに学んだ事を実践できれば、より楽しくなる」と教えているのです。私は覚えたこと、できることで実践し、それを続けてきました。そのことが「生きているという精神の確立にもなった」ようです。
生きているのに、「何もしなければ、楽しいはずはないのです」、そうは思いませんか?皆さん、今月のご愛読ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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Iさん宅の紫陽花、丹誠を込められて、人柄が出ています。そして近所に咲いていた睡蓮。