不明


今年も今日を入れ二日、今日は晦日(みそか)、明日は大晦日(おおみそか)、二日今年もありますが、いかがでしたか皆さんの一年、私は「不明な点、晦(くら)い点に今年も多く気づかされました」。気づかされたことに感謝しています。人生は「気づかされることの連続」。
今日と明日、除夜の鐘が鳴るまで、しっかりと「不明な点、晦い点、気づきを知り、除夜の鐘を聞き、除夜の護摩におまいりをして百八つの煩悩を減じ、改めましょう」。
一年はあっという間に過ぎます。年を重ね、経験を重ね益々意気軒昂(いきけんこう)でなければいけません、そのためにも、一年をしっかりと「お温習(さら)いする」「振り返ることです」これは何も後悔するためにお温習いするのでもなく、振り返るのでもありません。大いに気づくためです。
菜根譚(さいこんたん)前集169項に「晩年こそ豊に人生を送る」として次のように書かれています。
「夕日が沈むとき、空はなお一層夕映えに美しく彩(いろど)られる。
歳の暮れが近づくほど、柑橘はますます豊かな香りを放つ。
晩年になるほど、いよいよ元気百倍で一層充実した日々を送るのが君子というものである。」
菜根譚の作者洪自誠(こうじせい)のこの言葉は頓(とみ)にこの年令になり悦びを覚えます。なぜか、洪自誠が言います。「人生は瞬く間に過ぎ、いつかは老域に達する日が来る。だが、老いるほどに意気が揚がれば、たとえ黒髪が白髪に変じたとしてもその志まで衰えるものであろうか。老いてますます盛んとなり、貧しくても志が固いことは美徳の一つであり、人を奮起させる。」というのです。
昨日九州のTさんが私に励ましのメールをくれました。思わず目頭が熱くなり、そうだ、老け込み、落ち込んではならないと反省、ふと洪自誠のこの項を思い出したのです。
不明な点、晦いところをTさんのメールで気づかされました。学友・師友はありがたい。
晩年だとあきらめてはいけない。日が沈んでからこそ、天空は美しい夕焼けに彩られるのです。老年になっても、学び祈れば新鮮、流行、変化に富んだ日々になることもあり、人が夕日を見て感動するように、その人を見て憧れてしまうような生き方をする人もいるのだと、洪自誠は教えています。そうだよな、そうだよな、忘れていたなと、反省しています。
人生では年令に応じた役割、使命というものがあります。40才50才という中年期は発奮して事業を立ち上げる黄金時代、60才70才になれば、それまでの豊かな人生経験をもとに、後の人たちが自分を追い越す際に、なるだけ回り道をすることなく、できるかぎり挫折を味あわなくて済むように指導するという役割。
「歳寒(さいかん)の松柏(しょうはく)」という言葉があります。寒い冬でも松や柏は青い葉の色を変えないように、逆境にあってこそ人の真価がわかるという意味です。
晩年に至れば、身体が思うようにならず、黄昏の悲嘆をかこつこともあろうが、馬屋に伏しながら志は千里を駆ける老馬のように、その雄々しい志はいよいよ光り輝くようでありたいと上の言葉を思い出したのです。
志の成就を求めない人生は、たとえその身は少年であっても、覇気のない自堕落な生き方になってしまいます。それではあまりにも惜しい。理想を抱き、その実現を追い求め続けるならば、老域に達しても気力は一段と充実し、悲壮感に暮れている暇はないのです。
昨日Tさんから励ましのメールをいただき、気持ちを奮い立たせることができたようです。不明、晦い点を明らかにできる師友はいいものだと、改めて感謝しています。晦日の今日を豊に過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆門松立て、しめ縄も新しく、皆様のおまいりをお待ちしております。