発憤

おはようございます。

「にんげん学」一宮初講座「新・論語を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。やはり嬉しいものです。一年の初めに皆さんのお顔を拝見しますと安心します。
これからも変わりませんが、私は出欠をとりません、それは皆様を「信じるからです」。学びは自主性、孔子も「憤(ふん)せずんば啓(けい)せず」と。自ら「よし、やるぞ〜学ぶぞ〜」という思いが無ければ身につかない、というよりも「教えてもらいたがらない」だから「教えられない」のです。学びは尊敬と謙虚を教えます。それが孔子の「忠恕(ちゅうじょ)の道」。
忠恕とは「自分の良心に忠実であることと、他人に対する思いやりが深いこと」です。「自分の思いと人様の思いはそんなに大きく変わりはないのです」。「自分が欲しいと思うものは、人様も欲しい」「嫌だと思うことは、人様も嫌」。このように、心学を学んでいますと、多くの気づきがあります。
しかし気づいたからといって、それを改め行動とできるかは、やはり学ぶことが習慣になっていなければできない相談であり、憤しなければできません。それを「憤せずんば、啓せず」と孔子はいったのです。自ら「発憤するようでなければ続かず、教えも我が物とはできない」のです。
学ぶことに発憤した人のことを「明知の人といいます」、学びの究極は「己を知ることだからです」。己を知らなければどのような人、仕事に出会っても、縁とできません、いくら知識を頭にインプットしたとしても、アウトプットできない、対応できないのは、「自分の心と人の心は同じだという事にも気づけず、人様への思いやりの行動ができないのです」。
「自利は利他なり」が道理。「自分を利するという発憤が人を大いに利することができる」のです。繁栄が成らない、仕事が繁盛しないのは、自分の思いと人様の思いは同じだという明快な現実に気づかず、自分の事しか考えない、あまりにも当然の結果なのです。
来月の「一宮講座」は2月9日(木)です。寒さが一段と厳しくなります。お大事にお過ごしください、来月も元気にお会いいたしましょう。
今夜は「にんげん学」東京初講座「老子を読む第2回」です。会場でお会いしましょう、楽しみに一宮を発ちます。今日も素晴らしい一日でありますよう。  

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。

愛媛・八幡浜・一生園さんの日本一のミカンと、伊丹、日本一菓舗・寶樹庵さんのコラボでできた「ミカン大福」です。

懇親会、名物「味噌煮込みうどん」をいただきました。