祈りは譲ること

おはようございます。

今日24日は下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭並びに庚申祭法要」午前10時厳修です、おまいりお待ちいたしております。
私たちは「生かされています」。生かされているという「自覚、行動が大切」です。如何でしょう?。生きていると考えるから「不足を思う」「不満を言う」のではないでしょうか?。
生かされているという在り方は「譲る」「謙虚」「感謝」の暮らしを行うことです。譲る、一歩下がりますと「空間ができます」。言葉を換えれば「心の余裕ができる」のです。
生きていると考えている人の心の状態は「心の余裕、空間、間がないのです」。いつも「自分が正しい」。だから「他の人の意見や素晴らしさを受け入れる余裕がない」「人の意見を聞き入れる豊かさもない」「人様が何が必要なのかを考えない」「仕事の根本が見えていない」「人様を理解しようとしていない」「いつも対立意識」「共存するという感謝がない」のです。
生きていると考えている人は、心に余裕がありませんので、いくら自分の頭の中で豊かになりたい、豊かになるためと考えて行動しているつもりでも、それは、「勝手な思い独善的であることに気づいていない行動です」。どういうことかと言いますと、「若い人や未熟だと考えている人から学ぶ姿勢がない」のです。
学ぶというよりも「育てるという意識がない」。上ばかり見ていて、「若木、若芽、若い人材を育てようとしていない」のです。「実を摘み取ろう、果実を得よう、結果、成果を得ようとするばかりなのです」。
生かされている、と感謝する人の生き方、在り方は「目の前の人の長所を見る」「自分にないものを見る」のです。ですから、目の前の人の長所、素晴らしい能力に助けられているという「感謝の思いがさらに強まる」。そのような方はどんどん豊かになります。
なぜでしょうか?答えは簡単です。私たちは食べ物一つ作ることはできません。この身を保つには食糧に由らなければなりません。心も素晴らしい教えに由らなければ動物の如き人間となるのです。知識や技術も同様、すべて多くの皆さん先人に学び生かされています。自分のできないことをできる人のお力で生かされているのです。
生かされていること、できない事へ「懺悔と感謝が祈ることです」。人は「己を知る人と共に在りたいと願うのが自然ではないでしょうか?」「共生きです」。共に生きるほど幸せなことはありません?価値のあることはありません?皆さんはどう思われますか、共にとは、自主性です、「相手も理解しなくては、わかってくれなければ」ではありません。「相手も」と思ったときから共にではなく、強制となり、自分が正しいになり、隷属を求めているのです。
素直に日々感謝の祈りを捧げ多くの方々に生かされているという実感を持ち、人様と接することができれば無理のない繁栄がもたらされます。
自然は「自分で支えられない果実を実らせません」。自分で支えられない欲を持ち、自分で倒れるのが、生きていると考えている人です。
感謝は「小欲知足の実践」。自分のやっていることが成功しなくてはと考えていることが既に慢心であることを知るべきです。
育てなければ何も得られません。育てようと思う心が生かされているという感謝の行動。今日はご一緒に感謝の祈りを捧げる祈り愛の日です。遠方の方も10時に祈り愛ましょう。そして「心身の病を退散させましょう」「感謝、謙譲は最高の富」です。良い一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆「くくり猿」と「身代わりのお牘」を護摩祈祷します。これで一年無事息災、心身健康。