自身の人生を成功に導く徳

おはようございます。

人間、心がけが大事です。以前からですが、何でこの人がという事件が世間を騒がせます、心の中には誰でも、その魔(煩悩)が住んでいます。魔が顔を出さないためには「日々のこころがけ」が大事です。心がけとは、心の持ち方であり、陽である心がけは行動が前提です(人間は心で思うことを行動とする)。だからこそ心がけが重要となるのです。私は人を尊敬し人と比べず歩むということを心がけの一つとしています。ですから、思ったことの大概のことは成功に達してきました。
心学で老子論語を皆さんとご一緒に学んでいます。学は=まねぶ=行動です。心がけは仏教、心学を元にしています。論語、公冶長(こうやちょう)第5、16に「子、子産(しさん)を謂(い)う。君子の道四つあり。その己を行うや恭(きよう)。その上に事(つか)うるや敬(けい)。その民を養うや恵(けい)。その民を使うや義。」
孔子は、どんな場合でも百パーセントの成功を保証する「四つの徳」として子産を例に挙げて説いています。孔子は鄭(てい)の宰相(さいしょう)であった子産という人物について、次のように批評しました。
「子産の行いは君子の道にかなうものが四つある。自分自身の行いはあくまでつつしみ深くて高ぶらず、主君に仕えるには尊敬を旨として礼を失わず、人民を養うのには恩恵を施して無理をせず、国家の仕事に人民を使用するときには、農閑期をあて、かつ公平にして不平不満が出ないようにした」。
これは今日騒いで話題に挙げられる働き方、働いていただくための思いやりを具体的に説いているのです。
恭・敬・恵・義の四つの徳を備えていれば、確かにリーダとしての尊信を集め、その上、従業員の方々には働き方の心がけとできるとして、子産の徳の大きいもの四つを挙げて称賛し、私たちにも、このようにあるべきだと諭しています。
恭と敬は処世上欠くことはできない美徳です。私たちは堅く恭敬(つつしみ敬うこと)の精神態度を保ち、人様に交わり世に対処するようにしなければ、世間は受け入れてはくれません。世間が受け入れてくれなければ、世に立ち事業に成功することはできないのです。
行動が乱暴にならず、生活が放縦(ほうじゆう)(何の規律もなく勝手にしたいことをすること。)にならず、言語は特に大切にしなければなりません。言葉は心象(しんしょう)(心の中に描き出される姿・形。心に浮かぶ像。イメージ。)となるからです。
私は幼少の頃より臆病で、その上、叡山で修行していた折、徹底して恭敬の態度が身に教え込まれました、故に人に対して粗暴な態度に出ることができず、言葉づかいも丁寧にしていました。今日でも変わらずに行っています。
恭敬は軽蔑の反対語です。何人に対しても又何ごとに対しても、鼻の先であしらわず、慎重にふるまうのが、すなわち「恭敬」です。人様に対して恭敬のない人は、物事に対しても必ず恭敬の気持ちがないのです、長年研修を通して人様を拝見していての実感です。
恭敬の気持ちがない人は、気持ちを一つに集中することができない傾向にあるようです。注意が散漫、気が散っていて物事が成就していない人が多いのです。
これに反して恭敬の気持ちが強い人は、精神統一、集中力をもって事業を成し遂げます。危機管理等等での問題が盛んにいわれますが、これらは恭敬の念が希薄であることで起きたことです。
恭敬の気持ちの盛んな人は万事に注意深くなりますから、危険もなく失敗も少ないのです。恭敬の念は決して虚偽ではなく、人心の心底からわき出る真実です。恭敬をもって交われば、交情、人様とのお付き合いは長く続くことになるのです。
研修で茶礼を行いますが、茶の湯で茶碗や道具を丁寧に取り扱うのは、みな恭敬の念を本意としたものです。故に利休以前から伝わる茶の湯が今日まで絶えることなく隆盛なのです。華道にしてもしかりです。
私が修行しました比叡山延暦寺根本中堂に伝わります、燦然と一千二百年綿綿と伝わり輝きます「不滅の法燈」は恭敬のシンボルともいえます。心華寺にその「不滅の法燈がご分燈」いただけたのは恭敬の教えを心がけとした証だと自負しております。
休日の今日、じっくりと、恭・敬・恵・義の四つをお考えになり、心穏やかにお過ごし下さい。       

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌