三人行えば

おはようございます。

今朝は雨です、今年の副住職の行は雨が多いようです。ご苦労様なことです、私も経験しているだけに、その厳しさを感じます、夜半にふと雨の音がしたとき、ああ、雨の中歩いているんだな〜と思うだけでなにやら心が痛みます。
私は自身を高め修めることを第一にしています。そのために教えに忠実に向き合っています。教えは例えれば定規のようなもので、行動の良否を確かめることができます。また、人様に同じように接しても同じように受け止めては下さらないのも、相手によってやり方を変えるということを知ります。
昨日までゴルフというものを通して皆さんにいろいろ教えていただきました。先日も書いていますが、「われ以外すべて師なり」。人間は独善的(自分の言っていることだけを正しいとして、人の言葉や考えを退ける)になったときから人間的に堕落するという思いをしています。
論語、述而第7-21に「子曰く、我れ三人行えば必ず師有り。其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。」。とあります。
意は「人が三人以上集まって行動すれば、必ず自分の師となる人がいるものだ。いいなと思う人を選んでお手本としよう。だめだなと思う人でも、その人のダメなところを見ていれば、自分のことを振り返るお手本となるだろう。」。
これは「どんな人からでも学ぶことができる」「学ぶことだ」と孔子は教えるのです。とても大切な考え方です。なぜでしょう?この世は「人を選ぶことが出来ない社会や組織だからです」。
二人では、個人対個人ですが、三人になると社会となります。この論語の段の「三人」とは、社会や組織を象徴した言葉でしょう。
組織や社会の中では、人を自分で選ぶことができませんので、害があったり、損をしたりすることもあります。それ以上に大きな利、気づきが得られるのも事実です。素晴らしいお手本が目の前にいるのです。そんな中で自分を修めて行くことが大事なのです。
組織や社会は、いろいろな個性が集結したものです。同質の個性が寄り集まっても、あまり面白みがありません。異質な個性とぶつかってこそ面白みがあり、切磋琢磨できるのです。
もしかすると、「善からざる者」とは、自分とは異質の個性であるために、善からざるように見えるだけという可能性もあります。このように考え方を変えるだけでも、別の価値観が生まれてくるのです。
もし、善からざると感じた方を目の前にしたとき、反面教師とすればよいのです。批判や不満からは何も善いものは生まれないのです。
皆さんをお手本として学ぶ楽しい二日間でした。皆さん二日間お世話になりました。又来年よろしくお願いいたします。
今日は週末、一週間ありがとうございます。一週間の自反として、周りのいろいろな人から学んだだろうか?という反省をしてみてはいかがでしょうか。良い週末をお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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※心華寺で一泊、プチ修行をして心身のリフレッシュをしませんか?いつでもお待ちしております。坐禅、読経、水行、写経、作務、食事作法、非日常体験で、新しい自分発見。
☆師友の皆さんありがとうございます。優勝は大阪高槻のMさんでした。皆さん来年までお元気に精進しましょう。