学べば変わる

おはようございます。

今朝も冷たい朝です。人間どこで変わるかわからないものです。私は何度となく書いていますが、勉強がイヤでイヤでどうしようもなかった(やらされる勉強、勉強はやらされるものと考えていた)、今考えれば、イヤなことがハッキリしていたお陰で学ぶことが好きになったように思っている。
好きになることはないかと、いつも考えていた。空想の世界で遊んでいた。現実逃避の手段として人が嫌いだった私は「本を読む世界に求めた」。このことが後の私に良かったのかもしれない。思うこと、考えることが好きになったのかもしれない。
私は生まれながらにして知識力があるものと、ないものとがあると子どもの頃は思っていた。何事も生まれつきだと、考えていた。だからいつも、なんでこんな俺を生んだのかと、親を恨み、死にたいなどと愚かにも考えていたときもあった。
ところが長じてお山に登りいろいろな書を読み、論語も読むようになり「子曰く、教えありて類なし。」(論語、衛霊公(えいれいこう)第15-39)にであった。これは「学び、教育が人格を形成する」という教え。
意は「人は教育によって善人にも悪人にもなれる。生まれたときから差があるわけではない。」。
この教えを目にしたときは目の前が開けました。どんな人間になるかは「学問によって決まる」というのです。どんな人間になりたいかは自分が決められるということだと受け止めたのです。
陽貨(ようか)第17-2に「子曰く、性、相近し。習えば、相遠し。」とあるではないですか。勇気と希望です。意は「人間は持って生まれたものはそう変わらないけれど、どんなことを学ぶかで差がついてくるものなのだ。だからこそ、教育を大事にしてほしい。」。
「人の価値は、その人が今までどのように生きてきたか、これからどう生きていくかで決まる」というのです。「人生を自分で切り開いていくための手段が学問だ」というのです。「人から決められるのではない」ということです。点数ではかられ、あなたは、こうだというのではないのです。学ぶ意味がここにあるのです。学は自分のための行動。
孔子は為政(いせい)第2-4に「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。後略」と教えます。生まれながらにして知ると言われた孔子でさえ、一生学問をすると的を確かにしたことを明言しているのです。
先日もゴルフをして練習も何もしていませんので、結果は自明の理、最下位、物事は知ってから、学習し続けられるかどうかが人間性なのです。精進することを忘れずにいたいものだとしみじみ自反しています。良い休日にしてください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
※心華寺で一泊、プチ修行をして心身のリフレッシュをしませんか?いつでもお待ちしております。坐禅、読経、水行、写経、作務、食事作法、非日常体験で、新しい自分発見。