関心の源

おはようございます。

12月、師走です、先月も毎日お訪ねいただきありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
関心の源は何でしょう?、なぜ関心が持てるのでしょう?
関心が持てなければ、「何も気づかず」「何も見えない」。私はこのように考えてます。
関心の源は何だろう?。
私は、責任感と考えています。
住職としての責任、担当者としての責任、その仕事のプロとしての責任、信者さんに対しての責任。皆様でいいますと、お客様に対しての責任。親としての責任。夫婦としての責任。
「責任を責任と感じると、関心を持たずにはいられなくなる」のです。
責任感のない人は、「関心も低いから」「何も見えない」。プロではないということです。
副住職・誠澄は責任を感じたから、修行の大事に気づき、修行が見えた、それで修行をした。
別の表現をすれば、他人事にしない、ということです。責任者、リーダーなら、「他人のことであっても、自分のことと同じように考えられる」のです。
お釈迦様の有名な「四門出遊」の話し。お釈迦様がまだ太子の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりに見て、苦諦(くたい)に対する目を開き、出家を決意したという話です。他人事としなかった。そして私たちも目覚めることが出来た。
以前から「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、皆私のせい」という言葉があります。このような思いです。
自分のせいだと思うことはなかなかに難しいことですが、せめて「自分のことだけでも、他人に責任を押しつけないリーダーでありたい」と、誠澄の姿を見て思うのです。今日辺りから誠澄は大変な苦しみを味わいます(私の経験)。自ら選んだ修行、責任感のなせる業、弟子とはいえ、頭が下がる。
人ごととは思わずに関心を持って今日も楽しく過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
※心華寺で一泊、プチ修行をして心身のリフレッシュをしませんか?いつでもお待ちしております。坐禅、読経、水行、写経、作務、食事作法、非日常体験で、新しい自分発見。
愛媛県八幡浜市の日本一ミカン農園「一生園」のOさんから、3日の「大根焚き・お灸鉢かぶり加持」法要へのお供えの「心華寺の木みかん」初摘みが奉納されました。Oさん毎年沢山のご奉納ありがとうございます。



一生園さんの魂が示されています。


NPOこころのはな「子ども食堂」へ、いつもご奉仕下さり、食材をご提供いただいたりと、お世話になりますGさんが「東日本大震災復興支援」が出来ます「わかめ」を沢山提供くださいました。Gさん、いつもありがとうございます。




Gさんのご主人様がいろいろな野菜を作られています。ブルーベリーの葉が紅葉したと、お持ち下さり、あまりにきれいでしたので、散らして写真を撮りました。