布施波羅蜜

おはようございます。

下関・愛宕寺は信者の皆さんの信仰心のお力で守られている寺。普段心華寺にいる私、ほとんど愛宕寺を留守にするという状態。2月まではいつもお守りくださるSさんがおられましたが、以前からご主人様が病を得られ看病しなければならない状況になり、2月いっぱいで退かれ、3月からSさんMさんTさんKさんGさんの五人の信者さんが交替で留守をしてくださるようになったのです。ありがたいことです。当に六波羅蜜の第一、布施波羅蜜の実践をしてくだされています。
本来の寺のあり方が篤信の方々がお守りすることと考えています。それに近い状態になったことに喜びを感じています。皆さんありがとうございます。
布施波羅蜜(ふせはらみつ)は、別名、檀那波羅蜜(だんなはらみつ)ともいい、さまざまな施しをさせて頂く修行のことです。簡単にいうと、貪欲(とんよく)の心を対冶して、人に財を与え、法(真理)を教え、安心を与えることで、完全な恵みを施すことです。五人の皆様の行いは正しくこのようなのです。
お布施といいますと、信者さんや檀家の人が私たち僧に対して施す金品が一般的になっております。これらのお布施によって寺院が守られる事となり、僧侶が教えを広め流布(るふ)することができるのです。これらの布施の行為が長い間続けられて、法が絶えることなく伝えられてきているのです。よくお寺で「檀家さん」という言葉を耳にしますが、これは、檀那波羅蜜の壇那は元々布施の意味ですから、経済的な援助(布施)をする人を世間一般に檀那とか檀那様といいます。この檀那の人達の家族を檀家と呼んでいるのです。
布施行には、財物を施す財施(ざいせ)、恐怖や不安を取り除き安心を与える法施(ほうせ)、法を説き与える修行を実践する無畏施(むいせ)があります。
1、財施財施と言うのは、文字通り、金銭や物品を他人に施す物質的な布施のことをいいます。地震や水害時などでの衣類・毛布・食料等々の生活用品や義援金なども、この財施にあたります。
お布施の心がけを少しお話ししますと、本来、人間は欲深く罪深いものです。お寺へのお布施なども、金額が定まっていないと、いくらですかと尋ねられる方が多くなりました。お布施は、自分の出来るだけの気持ちを喜んでさせて頂くというのが趣旨であります。このことから、お布施をすることを喜捨(きしゃ)ともいいます。喜捨は喜んで捨てると書きます。この意味は、喜んでさせて頂きますという心がけの大切さを教えています。このような気持ちで、仏様の教えを守り伝える僧侶や自分より経済的に苦しんでいる人に布施することが、自分の罪障を消滅することになるといわれています。お金の有る人は有るなりに、無い人は無いなりに、自分の能力に応じて布施させて頂くのが基本なのです。このことから、お寺などのお布施は金額を定めないのが本来の姿なのです。
また、托鉢(たくはつ)行の時など、「あの坊主は、お布施したのに御礼も言わない!」と耳にすることがあります。これは、何々してやったという人間の醜い姿の現れであります。また、一般には、お布施の金額が決まっていないと、少ないとケチと思われはしないか、また、多ければ多いお布施も、法要のお経や説法などがお布施の金額に見合ったものかどうか査定をしたり、見栄の心や欲深い心が顕(あらわ)れたりします。
仏様の教えを守り、説き広める場であるお寺や僧侶は、逆に布施する人に対して、金額の大小で囚われたりする心があってはならないのです。布施をする者とされる者が清浄の心となって、互いの罪を消し、功徳(くどく)となり得るのです。このことを空無我(くうむが)(無自性(むじしょう)・無所得の自覚)でなければならない修行とされ、菩薩道を代表する実践法となっています。空無我とは、施す者も、施しを受ける者も、施し物も、全てが執われを捨てたものでなければならないという意味になります」。
2、法施「法施は、仏様の理想とする教えを説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導くことをいいます。私たちは、この法施の第一線に立つのが本来の役目とされています。また、仏様の教えを信じる在家の方も、縁ある人に仏様の教えを伝えることがとても大事なことだといわれております。
簡単にいうと、人に物事の道理を説くということです。一般の方でも、豊かな知識や智慧のある人は、物やお金はなくても、人にものを教えたり、導いてあげたり、拘(こだわ)りや囚われから離れる方法などを教えてあげることができます。どんな人でも法施はできるのです。悩んでいる方は、他人の体験話を聞くだけでも随分救われたりするものです。このような行為も立派な法施です。
実生活の中で、暮らしの知識を教えることも広い意味で法施に当たります。例えば、おいしい漬物の漬け方や編み物の仕方、パソコンの使い方などを手ほどきしてあげたとしても、やはりそれは法施なのです。このうちのどれでもいいですから、自分にできる布施を実行して、人の役に立つことが肝心です」。
3、無畏施無畏施というのは、人の悩みや恐れを取り除き安心を与える布施をいいます。その気になれば、たとえ、経済的にゆとりのない境遇の人でも、自分の体を使って労力を提供したり、いたわりの言葉をかけたり、優しさのある微笑で人と接したりすることは出来るものです。心がけ次第で、困っている人達のために、「布施の心」は持てるはずです」。
仏様は、雑宝蔵経(ぞうほうぞうきよう)の中で、財力もなく知恵も無いという人の為に、次に掲げる「無財の七施」をお説きになりました。
無財の七施
眼施(がんせ):優しい眼差しで人に接する。
和顔施(わがんせ):和やかな明るい顔で人に接する。
言辞施(ごんじせ);優しい言葉をかける。
身施(しんせ);身をもって布施する。
心施(しんせ):心の底から人を思いやる慈悲心を施す。
牀座施(しょうざせ);例えば、先輩やお年寄りに自分の席を譲る行為。
房舎施(ぼうじゃせ);例えば、困っている旅人に一夜の宿を提供したり、休憩の場を提供したりする行為(昔はお遍路さんなどに対して行われていた)。
以上のように、布施ということが菩薩行の第一条件とされているのは、大変意味深いことと言わなければなりません。
五人の皆さんが愛宕寺をお守りくださる布施心に私は励まされています。また多くの信者の皆さんありがとうございます。これからも愛宕寺のお守りを宜しくお願いいたします。
明日から春のお彼岸、六波羅蜜を修行する一週間でもあります。明日午前10時より愛宕寺「春季・彼岸会法要」を行います。ご先祖様へのしっかりと感謝の供養を共に祈りましょう。お待ちしております。今日も布施の心で豊かに過ごしましょう。
人生何が楽しいかと言えば、捨てることではないでしょうか。使いどころが間違っているとは思いますが、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺も、小さな私欲、我欲で人生を考えるのではなく、無我無心です。比叡のお山へ入山したときから、捨てようと精進していたから今日があるのではと思わないでもありません。
心華寺、愛宕寺で人として、僧としてどうあるべきかを実際に学ばせていただいていることに感謝の思いを厚くしております。明日ご先祖様へご一緒する感謝の祈り愛、楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の扉を開けます。
☆心華寺で参籠修行をしませんか、非日常の空間に身を置き、作務(掃除)、読経、坐禅、写経、五感の対象をすべて聖典に置き、自身との対峙。新たなあなたが見えてきます。
愛宕寺の玄関でお待ちしております。