大慈大悲

おはようございます。

 別れはやはり寂しい、いくら別れがあると知っていても耐えられません、感情とは抑えきれないものです。
 抑えなければならないのは怒り。人と共に哀しむ、人様への優しさは失ってはならない感情です。私たちには素晴らしい感情があります。それは「慈悲」「思いやり」です。「慈悲」は御仏の教え。「慈」は苦しみを抜いてやりたいという心。「悲」は楽しみを与えてやりたいという心です。この思いは先ず身近な人へ起こる感情です。親子の世界、家族の世界です。
 「慈悲」は、「慈」の心と、「悲」の心に分けられます。「慈」には、「苦しみを抜いてやりたい」という「抜苦(ばっく)」の意味があります。「悲」には、「楽しみを与えてやりたい」という「与楽(よらく)」の意味があります。「慈悲」とは「抜苦与楽」を意味する言葉です。
 「慈」=抜苦(苦しみを抜いてやりたい)
 「悲」=楽(楽しみを与えてやりたい)
幼いころ、病気になって親に看病してもらった経験は誰しもあることでしょう。夜中に急に咳き込んで苦しそうにしている我が子を見て、居ても立ってもいられなくなり、深夜でも病院に連れて行き、何とか苦しみをなくしてやりたいと願うのが親の「慈」の心です。
 また、大好物のハンバーグを食べている我が子が、自分のハンバーグをペロリと平らげ、今度は親のハンバーグまで「食べたい」と言い出す。それを嫌な顔一つせず、子どもの皿に分け与え、喜ぶ我が子の顔に満足するのは、親の「悲」の心でしょう。
 子を思う親の慈悲ほど深いものはないと言われますが、深くうなずかずにはいられません。
 人間の慈悲と御仏の慈悲に「3つの違いがあります」。
 このように、私たちにも「慈悲」の心があるのですが、仏教では、人間の慈悲を「小慈悲」といわれます。それに対して、御仏の慈悲を「大慈悲」といいます。
 この「小慈悲」と「大慈悲」には、次のような大きな違いが3つあります。
※人間の慈悲の心(小慈悲)
 ○平等ではない(差別がある)
 ○一時的で続かない
 ○先が見通せない
※御仏の慈悲(大慈悲)
 ○すべての人に平等に注がれている
 ○永久に変わらない
 ○智慧に裏づけられている
※限定的な人間の慈悲の心(小慈悲)。
 ○小慈悲(1)平等ではない(差別がある)慈悲の心。
 違いの一つ目に、人間の慈悲は、「幸せになってもらいたい」と思う相手が、子供や親、夫や妻、友人など、身近な人には強くかかりますが、縁遠い人だと、さほど慈悲の心がおきません。
 疲れていたり、生活が苦しいときでも、「大切な、あの人のためならば、なんのその!」という気持ちが起きるのは、親しい間柄の人に対してでしょう。全く見ず知らずの人に、同じような心は起きません。
 また、我が子と隣の子と平等には扱えません。いえ、我が子でさえ、反発的な長女より、おっとりした二女の方を可愛く思えることもあるでしょう。悲しいかな、人間の慈悲には限界があり、誰に対しても平等にはなりえないので「小慈悲」といわれるのです。
 ○小慈悲(2)続かない人間の慈悲の心。
 二つ目に、人間の慈悲は、その思いが長続きしません。
 テレビのニュースで、「世界では5人に1人の子供が餓死している」と聞くと、「かわいそうだな。日本では食べられるのに捨てられている食べ物がたくさんあると聞くから、それを提供して何とか助けられないものかなあ」などと思いますが、それは、ほんの一時のこと。次のニュースで面白い話題が報道されれば、もう笑っています。
 こんな話も聞きます。高齢となり病気のために入院したところ、疎遠だった子供たちが見舞いに来てくれた。ところが、兄弟同士、話をし始めると、遺産をどうするか、土地や金品の権利を主張し合う始末。子供のためなら、と懸命になって育ててきたのに、病床に伏す自分の目の前で遺産の取り合いをされては、悲しいやら、腹立たしいやら・・・。どんな相手にも、一貫して変わらぬ慈悲をかけ続けることは極めて難しいと分かります。ここにも人間の慈悲が「小慈悲」といわれるゆえんがあるのです。
 ○小慈悲(3)先が見通せない慈悲の心。
 三つ目の違いは、人間の慈悲は、先が見通せない慈悲といわれます。人間は、残念ながら未来を見通す智恵がありません。そのため、「幸せになってもらいたい」と願っての行動が、かえって相手を不幸にしてしまうことがあるのです。
 例えば、「我が子が喜ぶならば」と、欲しがるものを何でも好きなだけ買い与えたら、どうなるでしょう。わがまま放題で、社会性のない人間になってしまっては、かえって不幸にしてしまいます。小慈悲といわれるゆえんです。
 次に大慈悲についてお話しいたしましょう。限りない御仏の慈悲(大慈悲)の心。
 ○大慈悲(1)すべての人に平等に注がれている。
 小慈悲はどうしても不平等になり差別が生じてしまいますが、御仏の大慈悲には限りがなく、一切の差別がありません。男も女も、老いも若きも、愚かな人も賢い人も、貧しい人も豊かな人も関係ない。人種や職業、姿形なども差別なく、すべての人に平等に注がれるのが、御仏の大慈悲です。「御仏の本願には、老少善悪の人を選ばず」と説かれています。
 ○大慈悲(2)永久に変わらない慈悲の心。小慈悲は一時的で続かないものですが、御仏の大慈悲は、永久に変わることはありません。
 「摂取不捨の利益」(せっしゅふしゃのりやく)といわれ、ガチッと絶対の幸福に摂(おさ)め取り、捨てられることがない幸福(利益)にしてくださるのが御仏です。
 ○大慈悲(3)智慧に裏付けられた仏の慈悲の心。小慈悲は「よかれと思ったことが仇になる」ことがあります。先が見通せない慈悲なのです。
 御仏の大慈悲は、未来を見通す智慧に裏づけられていますから、私たちを必ず、未来永遠、変わらない幸せにしてくださります。ですから、先を見通される力を持たれた御仏を「智慧光仏(ちえこうぶつ)」といわれるのです。
 少し長くなりましたが、今日は第19回・盲導犬育成・チャリティゴルフコンペです。大慈大悲の世界を皆様に体験いただき、さらなる平和な世界の実現を目指していただきたいと、私の思いと願いがどこから出たのかを書かせていただきました。チャリティゴルフコンペにご参加の皆さんお気を付けてご来場ください。
 皆様も今日は私たちと御仏の慈悲の三つの違いを考えて過ごしていただきますよう。長いブログをお読みいただき感謝いたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の扉を開けます。
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人生は行き先を決めたとしても、道中、どのような出会いがあるかわかりません、どのような出会いがあったとしても、動じない自分を作っておきましょう。