信(まこと)

おはようございます。

 今朝は下関・愛宕寺におります、昨日午後3時過ぎに入りました。今日お昼頃までおりますのでおまいりください。
 昨日まで2日間、B巧芸社様の鹿児島本社、福岡支社と安全祈願加持を修してまいりました。祈願文をお唱えしたときの音、響きがお唱えしている私の魂をとらえます。祈願文は何度お唱えしても、というより、唱える度にその響きに魅了されます。日々の読経も同じです。
 祈願文は邪気を払い、福をまねくのです。戦国武将が神社仏閣に納経、願文を奉じ戦勝祈願を行ったことが理解できます。
 B巧芸社様は無理なく右肩上がりで発展されています。何ごとも一気に出来ることなどありません、徐々に徐々に出来ていくのです。徐々にが密度を高め、土台を揺るぎないものにします。だからこそ精神(会社の理念)が継続、継承され発展していくのです。
 祈願文を日々お唱えしますと、慌てなくなります。直ぐにとか、急(せ)くことがなくなるのです。それは「なることが、どのような心持ちであれば成るのかが説かれてあり、その言霊を信じているからです」。
 人は信じるとか、信じないとかよく言いますが、結果を出したから信じるに値する人間であるということはもちろんですが、結果を出すまでには、やはり修練、修学が必要です。できるようになろう、なりたいと日々修学、修練することが人生にとってとても大切な「姿勢、生き様」です。修学、修練する姿勢が「正しい忍耐、辛抱を養う」のです。だからこそ「諦めず成し遂げていく精神が養われる」のです。
 論語、為政(いせい)第2「子曰く、人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。」。訳「先生はおっしゃった。人でありながら信(まこと。誠実さ)がなければ、どうしようもない。信のある人は、言葉には嘘がない。だから信じられる。」。
 「信(まこと)」は嘘を言わないことです。偽りの無いことです。つまり誠実さです。人にとって先ず大切なのは、誠実さです。それも、先ず自分がこれを学ぼう、この道を歩もうと「思った教えに誠実さを示すこと」です。「人様や仕事と対する前に自分の日常に誠意を示すこと」です。
 「信」とは、ウソをつかないこと、約束を守るといった意味です。その「信」に欠けていたのでは、人間として評価に値しない、というのです。さらに言えば、「信」がなかったら人間失格のレッテルを貼られてもやむをえないということにもなるのです。
 しかし、これはあくまでも、「かくありたい」という理想です、現実の人間がすべて「信」をもった人間ばかりとはかぎりません。それどころか、実際には、平気でウソをついたりする人間のいかに多いことか…!。先日も人の命に関わる免震装置の会社等々が如実にそれを示しています。
 そこで必要になるのが、人間を見る眼です。相手が「信」のある人間であるかどうかしっかりと見とどける、見届けられる眼を養う。その上で対応しなければなりません。もし相手が「信」のない人間だと見極めたならば、「敬して遠ざかったほうが無難であります」。これは、にんげん学のイロハだと言ってよいでしょう。祈りましょう、心学を学び、人を見る眼を普段に養いましょう。
 積小為大(せきしょういだい)、という二宮尊徳翁の言葉があります。信頼を得るとは、小さなことを大切にすることだと教えています。それがいつか大きなことを成し遂げる力となるからです。今日も一日、小さなことを大切にして修学、修練を大切に致しましょう。小さなことが大と為すのです。教えに自分の夢を託せないようでは大成はなりません。
 年一度安全祈願加持を修しB巧芸社の皆さんの姿勢を拝見して、教えの言葉を大切に実践されていることに感銘して帰ってきました。皆さんお大事にご精進ください。お世話になりました。
 今日は皆さんも「信・誠実」さを大切にお過ごしください。今夜は「にんげん学」神戸居酒屋講座「論語を読む」です。神戸地区の皆さん会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の幸運の扉を開けます、ノックをしましょう。
愛宕寺の玄関の花です。