歩んだ後ろに道が出来る

おはようございます。

 今朝の下関は雨は止んでいますが強い風が吹いています。「にんげん学」小倉講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。
 人はおもうがままに振る舞えば、人の道に叛(そむ)くことになる場合が往々にしてあります、それは自利の道我利の道だからです。
 人の道とは対人関係、ビジネスや商いの道、利他の道です。人がやることでおもうがままに振る舞えば結果は苦しむ道しか残されていません、私を含めわがままを言った人は大勢おられるのではないでしょうか?、願った結果は得られたとしても、何かしら気持ちが楽しめません、我で無理押ししたことを知ってるからです。
 我でものを言い、行いますと後味は良いものではありません。人は意のままにならなければ大声で怒鳴り散らし、正しいと言いはる独善家となり、人が離れていく結果を招き自滅の道をたどります。
 何一つ人間は作り出すことはできません、加工や工夫はできるかもしれない、が、思いやりがなければ、人の役にたつ加工はできないのです。そのようなものは道になり得ません。
 道とは、幸せに向かうものです。「幸せとは満足感や充実感、共有感」です。だからこそ、人から人へとつながり道と為し、やがてその道を多くの人が歩むことで道となるのです。道とは前にあるのではなく、「歩んだ人の後ろに出来るのです」。共有感を大切にしてこそ人は同じ道を歩んでくださるのです。
 私は幸せと感じられないときに「ポストにベスト」という普遍性を持つ教え学びを知り、そこに「共有感、幸せを感じ、この道に入りました」。「感じることが幸せだと考えたからです」。
 いわゆる知識ではなく「私の感性、命が欲した」のです。ポストにベストを尽くす楽しさ悦びを感じたのです。これからも同じです。人生は等身大の幸せを感じることです。無い物ねだりは何も得ることはないのです。
 世の中で苦しまれている人の中に、学校を出なければ、資格がなければ、人様からの評価を得なければと、汲々としている方がおられます。もう、そのように生きるのはやめましょう。等身大の「生きがい」を感じることです。使命と言ってもいいでしょう。
 使命感は、自分の人生の目的を持ち、なぜこれをするのかのその意味を知り、その上で自分は何を成し遂げるのかの悦びをはっきりと明確に持っていることをいいます。つまりは自分が今此処にいる意味や、役割、存在価値や存在意義を自覚しています。こういう人たちは「責任の範囲を限定していません」。指示命令があったとしても、自分の範囲を限定せずに「自分からその範囲を超えて役割や責任を自らが拡げ使命を果たそうとします」。どこにおかれても、ポストにベストです。
 この目的を達成する意義や意味、この理想を実現することの必要性、なぜこれを自分がやるのかということが自分自身の人生とつながっていることを自明とするのです。そういう人は、やるなといってもやりますし、休めといっても動きます。つまりは「自分から自分の使命に燃えて使命を果たそうと自ら行動し続けることが生きがいになる」からです。
 本当の主体性というものは、とても積極的なものです。つまり「使命感を持って自分の命や人生の意義をもって日々に挑戦し続けるとき主体がはっきりと出て来ます」。志が醸成されその志が先に出ていますから主体が積極的に動いているのです。その状態は、自分の魂と自分の身体が一体になっていますから最高の状態が引き出されてきます。魂と身体がバラバラでは主体性はでてこず、どうしても受け身になってしまうことで最高のパフォーマンスが出てこなくなるのです。
 使命感とは大層なことではなく、自分が生きがいと感じる等身大のことです。充実の一日をお過ごしください。 
 今日から一泊二日心華寺研修道場では「M&Uスクール」が開校されます。受講されます皆様、お気を付けて入山ください。明日の夕方までご精進くださいますようご苦労様です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の幸運の扉を開けます、ノックをしましょう。
愛宕寺の留守を下さりますTさんKさんGさんの発想で素晴らしい会が始まります。皆さん、新しい愛宕寺の幕開けです。遊びにお出かけください、素敵な心遊を作りましょう。

✩心華寺・金港辯財天様では昨日「仏器のお磨きの奉仕の日」でした。ご奉仕、布施行にご参加の皆さんありがとうございます。ご奉仕の皆様のお顔が輝いているのがとても美しいですね、皆様の徳が更に高まります、感謝いたします。