修身養心
おはようございます。
「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。師友の皆さんと各地でお目にかかり、出会いの中で実践することの喜びに感謝をしております。
以前も書いていますが「先生と言われるほどのバカで無し」これは「先生という敬称が必ずしも敬意を伴うものではないことから」。「先生と言われて気分をよくするほど、馬鹿ではない。また、そう呼ばれていい気になっている者をあざけって言う言葉」です。
人は誰でも自惚(うぬぼ)れるものです。卑下(ひげ)する必要はありませんが、自惚れはいけません。心学の書は、自惚れを戒め、卑下する心を止どめ、悲しみ、失意の底で涙したときの助け、杖となり、怒りを静め、迷う人を目覚めさせ、自分を確かに取り戻すことに力をくれるのです。ですから、多くの皆さんにも心学を修めていただきたいと願っています。
先日来、何をどう間違えたのか、ハロウィンでバカ騒ぎをしている報道がありました。しかし、事の大小がありますが、自分を制御できずに一生を棒に振るなどということは、誰にでも危険性はあります。
そこで何が大事かといえば、「修養」することです。修養とは何でしょう?「修め養う」とは?。何を修め、養うのでしょうか?。「養」とは「心を養うことでありましょう」。その字を見ますと「羊の食という意義です」。何故このような字となったのでしょう?
仔羊(こひつじ)なるものはすこぶる柔和な動物で、あまり知恵がなく(仔羊さん、ごめんなさい)、これを指導する者がなければ最も迷いやすいものだそうです。「善にも悪にも誘惑されやすいことは、人間の心と同じようなものです」。
墨子(ぼくし。紀元前470年〜紀元前390年頃?の中国戦国時代の思想家。魯の人。墨家(ぼっか)の始祖。一切の差別が無い博愛主義(兼愛)を説いて全国を遊説した)は「白い糸を見て泣いた、という諺が残っています」。「人の心は、いまだいずれの色にも染まぬ糸の如きもので、染め方一つで、黒くもなれば、青くもなることを嘆(たん)じたというのです」。
修養とは「修身養心」です。私たちはもともと無、白紙で生まれました。今日私は、世間様の愛情と思いやりのお陰でポストをいただき使命を果たせていただいております。しかし、元々が白紙です。慢心し、卑下し、己を見失うことがないよう、修身養心を師友の皆さんとご一緒できることを感謝しております。
修身養心ができているか否かは別にしまして、お寺に、「にんげん学」講座へ私の言葉を大切に毎日、毎週、一ヶ月に一度と必ずおまいりや学びに来てくださる方があります。このような方は、私はやはり修身養心を真摯に考えておられることに感心感動しております。
皆さんは、教えによって導かれたと謙虚に自覚しておいでなのです。ですから、第三者の方から拝見しますと一様に成功を収め、事業が右肩上がりとなり繁栄していかれるのです。修養とは「修身養心」皆さん楽しそうに素敵なお顔をされているのが印象的です。
来月で今年も終わりです。12月6日(木)一宮講座の今年最終講座よろしくご参集ください。
今夜は東京講座「老子を読む」、東京地区の皆さん会場でお目にかかりましょう。お気を付けてお出かけください。
今日は修身養心という意味を考えて楽しくお過ごしください。
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※運命相談。辯財天秘法姓名判断。家相、地相の相談等々ご相談ください。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。したいけど、できないから相談することの勇気が未来の幸運の扉を開けます、ノックをしましょう。尋ねることを知恵、自明の人(自分に明るい人)といいます。