如法

おはようございます。

昨日は「沖縄全戦没者追悼式・平和の祈り」でした。沖縄県民の皆様に改めまして哀悼の真を捧げます。戦争はいけません、そのためにも小さな争いをしてはいけません、どのような争いも「一人から」です。人と一人、お互いの「正しいと正しいが衝突して争いが起きるのです」、真実正しければ争いなど起きようがないのです。この事実を皆さんで共有しましょう。小学6年生の女の子の言葉が胸に響きました。昨日書きました、聡明な人ほど「自分と他者の双方によい状況をつくるものなのです。」このことができるよに在りましょう。
今日は24日です下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時から厳修いたします。祈りは「現世利益」を与えます。今を豊かにするのがお祈りです、ご一緒に祈りましょう。
祈りは確かな思いがあればこそ確かなご利益となります。先日も書いていますが身近で大切な方の幸せ安全を祈ることが、最もイメージしやすく思いを確かにできます。だからこそご利益が得られるのです。ご利益を得てそこから次第に少しずつ輪を広げていきますと、多くの人の幸せに通じていくのです。
信はとても大切な心です。自分が信じるものを持たない人は、極端な言いようですが、人様から信じられることはありませんし、衝突の人生とするのです。よろしくありません。
信じるとは「道理・過程」を信じること。いわゆる形となっていない、結果の出ていない世界を自身が確かにイメージできてこそ信じられるのです。信は人様や教えが発するオーラを感じることでもあるのです。
私は比叡山開祖、伝教大師様の書かれた「山家学生式(さんげがくしょうしき)」「願文(がんもん)」を読み、「能く行い、能く言う人」「ポストにベスト・一隅を照らす」を私なりに人生がイメージし、比叡山に入山修行しました。
信の人は行動に迷いがありません、伝教大師様の書からそのように感じ取りました。私が最初に師匠に法を伝えていただきましたとき「如法(にょほう)」に行ぜよ、「法の如く、法の示すが如く行え」と教えられました。ですから2時間の護摩を1日3座修行じるのに「一日中(昼夜分かたず24時間)」を3座のために意識して行動をしました。すべての時間を修法の為に意識し行動したのです。いわゆる意識を切らなかったということです。
そのお陰で1日をリズム良く過ごせる心身・精神になったようです。朝起きて「洗面」「作務」「沐浴」「食事」「修法」「勉強」等々いくら時間があっても足りないくらいでした。しかし、次から次へと間断なくリズム良く行じたからこそ、集中力が養われ法力・加持力も少しずつついたように感じました。
私は思ってもいませんでしたがあるときから人様が「オーラを感じる」と修行時代そして心華寺に下山してからもおっしゃってくだされたことです。それは教えへの「憧れ、思いが、確かなイメージを持たせてくれたからこそそのような表情、顔貌を作って下された」のだと感謝しています。
未来は「永遠に未来です」、人生は「遠山無限碧層層(えんざんむげんへきそうそう)」。一つの山を越えても、また一つ、永遠に超えなければいけないのが人生です。明日という未来に超えなければいけない事柄は想定できないのです。人生とは「答えの無い道を信じて歩むことだ」と言っても良いのです。だからこそ師匠は「何が在っても如法・法の示す如く歩め」と教えてくれたのでしょう。
教えを信じ、形も結果も自分のイメージで作り上げ、ぶれずに教えに従い人様が見ていようがいまいが今も求め続けています。その過程で多くの現世利益をいただいているのが又感動です。
一つ超えれば一つの喜び、そして又目の前に超えなければいけない山が聳(そび)えているのです。しかし私は乗り越え、登り切る喜びを知ったのです。
そして今思うのはやはり両親への感謝です。病弱で物覚えの悪かった子供時代は誰からも相手されず、親に反発し、不登校、イジメ、孤独感を味わい、知らず知らず理想を描いていたようでした。だからこそ素晴らしい教えに師に出会い、今日素晴らしいみなさんと出会えたのです。祈る度に感謝しています。生んでくれてありがとうと。
永遠に続く喜び感動が祈りです。今日もご一緒ください。そして「歓喜の読経・繁栄の聖典」をお腹の底からお唱えいたしましょう。魂も体も悦びます、だからこそ幸福に導かれるのです。皆様の人生が多くの喜びに包まれますようお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
愛宕寺玄関でお迎えします。