参ずる

おはようございます。

昨日早朝「にんげん学」大阪講座会場をご提供くだされていますY社長様が「参禅」にお出でくださいました。前日は講座でしたので休む時間は午前0時を過ぎてはいたとは思います。
参とは「検証すること」。自分の「現在の能力を調べる、自分で自分をチェック、知ることです。」座禅はただ坐るだけ、参禅は坐ることで如何に「数息観(すそくかん)を行い( 呼吸を数えて精神の統一・安定を図る方法)、心身一如、無心となったかを調べることです。」
人生目標を作り、誰しもそこに真っ直ぐに進もうとしますが、なかなかどうして、気が散じ、目標を見失い、己で己をダメにするという人が少なくない。目、耳、鼻、舌、身という五官を一点に集中させることができず、五官に引きずられ、せっかくの目標を見失ってしまうことになります。
集中し無心に事に対することほど快感はありません。三昧(心を一つのものに集中させて,安定した精神状態に入る)になることこそが人生最高の喜びです。「夢中になれる喜び、注意されても、叱られても、失敗しても嬉しい、チャレンジすれば気づく喜びとなっているからです。」それが「三昧力、」人生何も難しい事などないのです。
ただただ目の前のことに一所懸命やればいいのです。目の前の事を楽しむ。それ以上も以下もない。それ以上を求めるから楽しめず、以下になりたくないと愚かにも考えるから楽しめない。せっかくのチャレンジを苦しみの種にしている。
座禅を上手にするために座禅をするのではなく、目の前のことに三昧となる一体となる境地に目覚めることです。どんなに良いことであれ、最初は、「五官が悲鳴を上げ足が痛い、腰が痛い、気持ちが乱れ、眠い、時間が長く感じる等々、」これらは参禅をしているのではなく、自ら参禅しようとしているつもだったのだが、本気でなかったことを知ったことを喜ぶことです。五官の正常な働きに感謝すべきです。
この苦しみは座禅を修したから生じる苦しみではなく、「何をやったとしても感じる苦しみです。」
よく、座禅はじっとしなければイケナイからしんどいなどといいますが、じっとしなければイケナイのは何も座禅に限ったことではなく、何をやるにしても集中は大事でつきもの。
何ごとの法でも体を通し、体現しなければ法に叶うことなどできないのです。やり始めは何ごともやりにくく辛い、慣れれば惰性に陥りそれで失敗する、だからこそ日課として己を調えることが大事です。それでこそ人生に参じる覚悟ができ、成果が出ようが出まいが「ポストにベストを尽くせるようになるのです。」
「ポストにベストを尽くせない己を作るから言い訳の人生を送ることになるのです。」そうならないために、日々目の前の事に参禅、自己チェックをしましょう。
昨日はNPOこころのはな「子ども食堂」の開店を知らしめていただきありがとうございます。お陰様で沢山のお子様にご来店いただきました。来週は14日(水)午後16時〜19時まで開店します。よろしくお知らせ下さい。皆様の今日一日が幸せでありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
NPOこころのはな「子ども食堂」ご来店ありがとうございます。昨日のメニューです。ハンバーグ、野菜炒め、サラダ、味噌汁、ご飯です。来週は14日です。ご来店をお待ちしております。

☆昨日のお昼過ぎの空です。