般若の風

おはようございます。

祈り瞑想の何が素晴らしいか、魅力かといいますと、やはり「慈悲」です。慈悲は「わが身になって導いてくださいます。」故に「私にも豊で繁栄の道が示され解るようになった」のです。
祈り続けますと、「心が静まり澄明になります。」汚れた水をバケツに入れ静かにしておけば「澄んでくるのと同じです。」心が澄明になるからこそ、慈悲の偉大さが日に日に感じます。
故に「繁栄の聖典を読誦し続けますと、当然のこととして目の前に道が示される不思議が現れます。」だからこそ今日まで私は歩き続けられ、「同志の方が多くできたのです。」
祈れば祈るほどに「慈愛・慈悲を感じます。」「慈悲は情です。」「私の為に導いてくださるという愛情を感じるのです。」私たち人間はこの「情を感じますと疑うことをしなくなる」のです。
人の情(なさけ)とは「同じ事を行っている人に情を強く感じるものです。」その思いが「友・同志の輪を広げ大きくする働きをするのです。」そして「繁栄の安定度を増すことになるのです。」一人、そして又一人と、無理なく増えていくのです。
祈る者は又「慈悲に目覚めていきます。」「新しく出会った方にも慈悲の眼差し心で出会うようになります。」そして「自然相手の立場に立ってお話できるようになるのです。」自然「共鳴共感していくのです。」
情愛の心がますます「人としてのつながりの輪を広く大きくしていきます。」祈り、瞑想、慈悲心とは何と偉大でありましょう。
疑いはまったくその逆です。孤独感を増し、孤独感を募らせます。
明日はその慈悲の風、般若の風が比叡山から吹いてきます「大般若経六百巻転読会法要」です。禍(わざわい)は「何が禍になるかわかりません、」分からないことを自覚した私たちに、慈悲の風は私たちの立場に立って吹いてくださり「転禍為福(てんかいふく)・禍(わざわい)転じて福と為します。」果実は実りを迎えるまで「渋味ばかりです」「季節の風が吹いてこそ甘味と化します。」
私たちが人としての果実が豊に実るためにもやはり「風が必要です」その「幸運の果実となるため、大般若経六百巻転読会法要の風が必要なのです。」般若の風が幸いへ転化させてくださるのです。
何故幸いを御仏は私たちにくださるのでしょうか?「凡人である私たちは、心にゆとりがなければ人様への情愛をかけて上げられないことを御仏はご存知だからです。皆様に幸せに成っていただき、幸せの輪を広げていただきたいという大きな慈悲・慈愛です。」
人は心次第だと知ってはいても、現実の禍、苦しみに負けてしまうこともあります、そのようなことのないように是非「転禍為福の風を受けに」おまいりください。皆さんの素直な行動が大きな幸い福を確実とします。明日10時半から厳修いたします。
明日は、「盲導犬育成並びに熊本・大分・東日本復興支援チャリティー」の催しも沢山ございます。どうぞご理解の上ご協力をお願い致します。お待ち申し上げます。良い週末でありますようお祈り致します。
全国からおまいりお手伝いにお出でになられます皆さん、どうぞお気をつけてお出かけ下さい。お待ち致しております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
ひまわりが呼んでいました。

グラジオラスも。

蒲の穂も。


トマトの花も。

今朝の風景です。稲が随分と生長してきました。