心を配る

おはようございます。

外で行われる行事を前にしますと心配なのが天気です。どうしようもないのに心配する、これが人間の常なのかもしれません。
7日は庭に床机を出しそこで熱々のがん・中風・ぼけ封じ祈願の「大根焚き」を食べていただきますので雨ですと大変です、それで心配をするわけです。
「心を配る、心配」。
私たちの世界では心配を自分のことで悩んだり、心配したりすることではないと教えています。
心配とは自分のために悩むのではなく「人様への心配り」、喜んでいただくにはどうすべきかと「心を配ることだ」ということです。
「どうすれば、どうしてあげれば」という人様、相手様への配慮が心配するということです。人様のことを心配してあげる。
このような常の心がけが発想工夫に繫がっていくのです。いつも「どうすれば、どうあればの思いもなく」ただ漠然と日々を過ごしていたのではいつしか自身が窮するしかないのです。
愛情は人間誰しも持っている「潜在的無意識の愛情」です。妻のことを心配しない夫はおらず、夫の心配をしない妻はおらず、子供を心配しない親はいないのです。
心配するというのは相手に対することなのです。どうすれば子供を良い方へ導くことが出来るだろうか等々常に親は考え試行錯誤して子供に対しているのです、何の見返りも願わずに自然の事として行っている「無償の愛が実は真実の人の心」なのです。
この愛情は私たちに潜在的に備わっているものですから、その円周を外へ外へと敷衍することで多くの人への心配りとなり、周囲の人が持っている能力の開発に繫がり大いに発展に寄与することとなるのです。
私たちに潜在的に備わっている「心配の心、心配りの愛情」を多くの人に役立てましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌