徹底して動く

おはようございます。

今年も企業様から個人の皆様方まで多くの方が研修、修業においでいただきました、ありがたいことです、お礼申し上げます、ありがとうございました。
「実践・徹底して動く」。
研修、修業、お祈りこれら全てに通じる事です。私が一番願っていますのは「真似る(まねぶ)」ことの実践をしてほしいということです。
大半のお方は「話を聞きに来られる」、これはこれで結構なことですが、話を聞いて実社会で実践しない限りに於いては何の変化もないということです。
それよりも何よりもお寺に来たら「生活をする(労働する)」ということに一番精力を傾けて欲しいということです。
何故かと申しますと社会は「実践の場」だからです。頭の中であれこれ思っていたとしても実際行動しなければ「何も伝わらない、伝えられない」からです。
寺の生活は「奉仕」です。
社会での仕事も同じように「奉仕」です。
行動しても人様に伝わったり、伝わらなかったりと様々です、しかし行動をやめるわけにはいかないのが社会、人生です。
では行動をやめてしまうのはどうしてでしょうか?、理解されない、受け入れられないと「思い悩むから」です。
何故思い悩むのでしょうか、それは「評価されるのが人生だと思い違いをしているから」です。
自分が自分であるためには「評価がなければと考えるのは大きな過ち」です。自分は評価されなくとも「自分なのです」。
修業生活をして何に一番気づき悟るかといいますと、「分(ぶん)」、限界です。
限界というのは「出来ない」ということとは違います。
分、限界というのは「これが出来る」ということです。
精一杯「分相応に」日々生活をしていますと人様は「活かしてくださる場を仕事を与えてくださる」のです。
たとえば、ある機械が一分間に「百個の製品を作る」事が出来るとすれば、その機械を使う人はその機械に「百一個は望まない」のです、何故でしょうか、百個しかできないことを知っているからです。
人間は機械でないことは百も承知で書いていることです、これは自意識、自覚の大事を言っているのです。
あなたは人様に何を望んでいますか、私は人様に評価を求めるのではなく、正しく理解し活かして欲しいと願っているだけです、それも強くではなく、すこぉ〜しです。
そうしますと分相応な仕事や場を提供していただけるのです。
ですから私に出来ることを人様は与えてくださるのです。このことに目覚め悟ったのです。何故悟ったのかといいますと、日々変わらぬ生活の中で「真似ている、学んでいる、実践している」からです。学んでいますと体から感じる、体で考えることが出来るようになるのです。
そう、頭で考えない、体で考える習性となるのです。
なぜかといいますと、実践無くして頭で考えれば思い悩み、誇大妄想するしかないのです。
教えをいくら受けたとしても正しく教えに沿って「行動」しなければ「悩むしかない」のです。
ですから寺での生活は朝から晩まで「働く」のが修業なのです。「動中の工夫は、静中の工夫より、百千億倍勝る」といわれるのです。
動かない水は腐り、静かに流れている水はいつも清らかなのです。
今年一年多くの皆様が寺で研修、修業、奉仕いただきありがとうございました。黙々と自分の分で体感した中から限りない発想をし実践していただき、ますます社会貢献をくださいますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌