慕う者が

おはようごいざいます。

愛宕寺「秋季・彼岸会法要」おまいりいただきありがとうございます。全国から供養をお申し込みいただいた皆様、確かに供養させていただきました。ご先祖様がお喜びのことでありましょう。ますますご先祖様を大切にお過ごしください、更にお力をくださり、支えてくださることでしょう。
ご先祖様をお慕いする皆様のお姿は「美しい」、この一言です。なぜ美しいのか?と考えてみました。
こんなことを感じました。それは「尽くす、慕うという前向きで素晴らしい心がある」「尽くすと言うことを苦労と思わない」からではないかと思うのです。「どうしたら喜んでくれるの」「どうすればいいの」という、優しい思いから醸し出される、その人の雰囲気ではないでしょうか。
「慕う者が、慕われる」、という言葉に嘘はありません。まったく、この言葉通りです。「愛する者は愛され、害する者は害される」道理です。人は「違う者に惹かれる」「和合するという自然な魂を持って生まれています」。陰と陽が和合することで、新たなものが生まれるように。
人様と仲良くすれば「新たな喜びが生まれる」「アイデアが湧く」「知恵となる」等々、和合することで様々な喜びが生まれます。
和合するという魂は持って生まれたもの、誰の魂の中にでも存在しています。では何故、和合を多くする人と、和合できない人が出るのでしょう?。
おぎゃぁ〜と、この世に生まれ落ちて以降の育てられ方です。教えてもらっていない不幸です。孟子の教えに「上濁(かみにご)れば 下濁(しもにご)る」という教えの通り、親が濁っていれば、子はその毒に犯されるのです。「親の因果が子に報い」という言葉もあります。
私たち人間は「育てられる」のです。動物や木々、花々は「育っていく」のです。しかし動物でも、木々や花々でも、育てられればやはり違ってきます。
「教えたことはやらないが、親がやっていることはやる」という俗諺(ぞくげん)(世間で言われていることわざ)であります。日々の繰り返しの生活が人間性を形成するのは間違いがありません。
言葉の無い、先祖供養を暮らしの中心に据(す)えて、お仕えする、慕う姿を目の当たりにして、お陰様の雰囲気の中で育った子どもと、
お陰様も、ご先祖様を慕うという姿が、どのような行動なのかを知らない子どもは、面倒なお手伝いをするはずもないのです。
言葉では無い、説教くさくない、ご先祖様にお仕えする、お慕いするという日常があれば、言わず語らず、身につけていくのです。それは「魂の中に存在している異質なものとの和合したいという能力」が開花するからです。
慕えば、ご先祖様は褒めずとも、周りの親や、祖父母、社会に出れば、仲間、先輩上司といった具合に、周りの人々が喜びを与えてくれるのです。
それが、慕う者が慕われるという大いなる和合の証(あかし)。愛する者が愛されるのです。今日は「敬老の日」お一人でも多くの方に慕い休日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌