恥を知る

おはようごいざいます。

今朝は下関・愛宕寺におります。日曜日だったからでしょうか、京都駅、新大阪駅、九州小倉駅下関駅どこも混雑、混雑していなかったのは京都から乗った新大阪止まりの「ひかり」だけ私の乗った車両が貸し切りでした。
JRのチケットを「ジパングクラブ」を使い買っていますので、「こだま、ひかり、さくら」しか乗れませんので新大阪で乗り換え九州に入ります。それで昨日は京都から新大阪間は貸し切りだったのです。
動かなくても日々変化があるわけですから、移動しているときなどはなおさらのなのかもしれません。外に出ますと「人間ウオッチング」を極力しています。余りジロジロ見るわけではありませんが、楽しいものです。私も見られているのでしょう、きっと。
人間ウオッチングをする理由は「素敵な人探し」です。私は孤独の時代が長くありました。その時から人に興味を持ち始めました、何故興味を持ったかといいますと、「恥ずかしかったから」です。「A君ができて自分ができていない何故だろう」ということです。
孔子は「もう一人の自分を持て」と教えます。論語子路(しろ)第13、20条に「 子貢(しこう)問うて曰く、如何(いかん)ぞ斯(こ)れ之(これ)を士(し)と謂(い)うべき。子曰く、己(おのれ)を行(おこの)うに恥(は)じ有り。四方(しほう)に使いして、君命(くんめい)を辱(は)ずかしめず、士(し)と謂(い)うべし」。後略。
これは、弟子の子貢が「立派な人とはどういう人ですか?」と尋ねられたときの孔子の答えです。意は「自分の行動に対して、いつもどこかで恥を感じ、どこへ名代として派遣されても、その人の名を辱(はずかし)めることなく行動できる人だ」と。これは学びというものを、簡明に伝えています。
「自分の言葉に対して、いつもどこかで恥を感じている人とは」、自分自身の「現状に満足することのない人のこと」です。「自分はまだまだだなぁ〜。もっと向上しなければいけないなぁ〜。勉強がたりないなぁ〜。」と反省を重ねる。「そういう習慣の身についている人が、立派な人間であると」、孔子は言っています。
この条を読む度に「穴があったら入りたい」思いがします。孔子は「到達したかしないか、立派な人間になったかどうかを問うているのではありません」「立派な人間を目指して日々向上を続けているかが重要だ」と言っているのです。
では「恥」とは何かということです。「恥の概念は」、自分のなかに「もう一人の自分がいることから生じる」ものです。「自分のふるまいを見て、人様がどう思うかは関係ないのです」。「自分のすることを常に、もう一人の自分が厳しく見ていて」、
「おまえ、まだまだだぞ、お前より立派な人はたくさんいるぞ。いい気になるんじゃないぞ。恥ずかしいよ。もっと謙虚になれよ」と忠告する。そんな「状態に身を置くことが」「恥を知る」ことではないでしょうか。
2月の最終週となります。このような思いで過ごしてはいかがでしょうか。私が人間ウオッチングをして素敵な人様を観察させていただいている理由の一つです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
京都から新大阪までの車中です。