難を避けてはいけない

おはようございます。

今朝は暖かく感じる雨の朝です。私たちが人として天地自然に祈り、感謝し少しでも学んでいるとするならば、何か困難な問題生じたならば、よほどのことでないかぎり、「敢えてその難を避けてはいけません」それが、祈り、義を学んだ者の行動規範の一つです。
慈悲、学びは「人のために生かすもの、用いるもの」、義は「周りの方が何か困ったことがあったなら補うこと、サポートさせていただくこと」です。それが人として「弁(わきま)えるべき道理です」。だから「いかに困難であろうとも、難を避けないのが祈り学ぶ者としての人と為(な)りです」。
人生に患(うれい)、困難はつきものといってもいい。目標、志に向かい歩むからこそ「患、困難、障害ができるのです」。
義を学んで、そこから逃げるようであっては学んだ者とはいえません。義を学んだ者は「学んだことが良心となり理性とならなければいけません」。
功利・打算・損得で学んだ者は、患や困難に出遭うといくらお世話になっていたとしても「直ぐ逃げ出しますからわかります」。
そのような人間は信頼を得られるはずもなく、周りからも好かれることはないのです。このような人は日常の中においても、自分では気づいてはいないかもしれませんが、小さな事柄でも「汚れ仕事や、縁の下の力、誰でもできそうな仕事を嫌います」。
家が栄え、会社が栄え、国が栄えるのは、上記のような「患、困難が生じたとき、率先して立ち向かう人が在ることによってです」。
では、どうしたら「義に厚い人を得ることができるのか?」ということです。「成功は常に苦心の日に在り。敗事多く得意の時に因(よ)る」と申します。
たいていの人間は、「よい気になった時から失敗を始めるのです」。「苦心惨憺(くしんさんたん)しておるところには、必ず成功がもたらされる」のです。
人材を得るには、お金があって、地位があれば、容易に求めることができます。
反対に、貧賤(ひんせん)で、金もなければ地位もない身で、良い人材を得ることは至難の業です。これが世間の人情という道理です。
「類は友を呼びます」。そこで若い頃、地位も名誉もない時、「我いかに生きるべきか。在るべきか」という「生理、どういう生き方をするか、どういう習慣をつけるか」ということが大いに人生には大事となる。それは習慣によって人間性を涵養するからです。
若いとき、無名の時「義を見て為(な)さざるは勇無きなり」ではいけません。患を生じよう、困難に陥ろうなどと誰も思って人生を歩んでいないからです。大切な人、牘の世話になっている人、家族、会社が患、困難に陥ったとき、「率先して立ち向かう人に、良い人材は集まってくるのです」。それが「類友(るいゆう)(類は友を呼ぶ)」です。
人は「人を獲(え)て大成し、人を獲ずして大成成らず」です。何れにしても己を修養するということは生涯にわたり大切です。
明日23日は「勤労感謝の日」。「労を労する日です」。論語、公冶長(こうやちょう)第5、26「前略・・・、顔淵曰(がんえんい)わく、願わくは善に伐(ほこ)ること無く、労を施す無からん。・・・後略」。
訳は「顔淵が言いました。私はたとい自分に善行があっても、それを人に対してほこらしく感ずることもなく、又骨折り仕事がある時、それを人に押しつけて自分だけが楽をしようとすることのないようになりたい」。これは孔子が弟子たちに志を聞いた時の顔淵の答えです。
「我、如何にいきるべきか、という生理学」です。明日は「心華みのり大祭・採燈大護摩法要」。午前10時から厳修します。一年のみのりに感謝します法要です。感謝の行動をしてこそ、新たな行動が見えてくるのが道理です。
大切な周りの皆様の患、災厄を除くために大護摩法要にご祈願ください。身近な方々の平安を祈りましょう。
世に「親知らず、子知らず、という難所があります」。これは「親は子を救えない、子は親を救えない、という現実のあることを言っています」。時に「祈ることが重要です」。祈り合いのできる、家族、仲間、同僚がやはり、「助かる、助けられるのです」。明日お待ちしております。楽しい催し物も沢山ありますご家族で楽しめる一日です。
今日は「良い夫婦の日」です。夫婦なればこそ「しっかりと二人して困難を乗りこえましょう」。そして尊敬し合いましょう。今日も素晴らしい一日でありますよう。笑顔でお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震鳥取地震の復興の支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
☆柿の木でも他の木でも四季を通して楽しませてくれます。