「おかげさま」があってこそ

おはようございます。

今日は秋分の日。午前10時より心華寺「秋季・彼岸会法要」を厳修いたします。おまいりの上、ご先祖様、水子様、物故者の皆様にご焼香ください。おまいりなされた皆様ご自身はもとより、ご先祖様も安心されます。秋分春分の日を彼岸のお中日といいます。それをはさんで前後三日の七日間が彼岸です。
彼岸とは、文字通り向こうの岸です。
仏の教えでは、こちらの岸(此岸(しがん))を煩悩の苦しみの世界とし、それに対して彼方の仏様の悟りの世界を彼岸、つまり私たちが目指す理想の境地としたのです。
そしてお彼岸は、此岸から彼岸に渡るように努める修養の期間としたのです。この期間中、お寺やお墓まいりをし、先祖供養をするのが習わしです。何か苦しみを感じたとき、現実を逃れたい、と思うのは人情ではないでしょうか?いかがですか?。空を仰ぎ、良い世界が無いかな〜、楽しいことがないかな〜と考えるのは自然です。
苦しみを感じたり、現実を嫌がったりするのは、身近な現実、周りを楽しめないからです。何故楽しめないのでしょう?
私たちは、多くの生きものを食事として命を維持しています。食べ物も命あるものです。また、水や、日光、空気、など、生きる上で必要な環境を与えられています。しかも、生きものが生きるために必要な環境は基本的にはタダなのです。
しかし、そのどれもが「当たり前」ですまされているところに私たち人間の行き詰まりが生まれるのではないでしょうか。
当たり前の反対語は?なんでしょう。「おかげさま」です。ふだん見えない「かげ」の力に対し、「お」と「さま」をつけて「おかげさま」と先人は表現されたのです。私たちのご先祖様はとても素晴らしいですね。そうは思いませんか?感謝の気持ち、「お」と「さま」をつけて尊敬語に、感心します。
当たり前すぎて、不足や不平を感じてしまう、悲しいことです。目に見えない「かげ」「おかげさま」があってこその世界なのにもかかわらず。
「当たり前でなくなって、初めて知るありがたみ」とか、「咲いた花見て喜ぶならば、育てた根っこの恩を知れ」と古人が言われました。人はみな、一人だけの力で生きていくことはできませんし、自分のためだけに生きるのでもありません。「お互いが、他者に力を与えるとともに、その支えともなってこその人間だと思います」。
このような悟りの道(気づきの道)、修養の道を歩みましょう。大切な家族を悩みや苦の種にしてはいけません。それはわがままというものです。「おかげさま」を大切に今日は過ごしましょう。午前10時から心華寺「秋季・彼岸会法要・おかげさまの祈り」を厳修いたします。ご一緒に感謝の祈り、おかげさまの祈りを捧げましょう。
また今日から1泊2日M&Uスクールが開校されます。受講生の皆さんお気をつけて入山下さい。
お彼岸のお中日、感謝の一日を過ごしましょう。明日は24日、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時より厳修いたします。おまいりください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
☆心華寺・金港辯財天様にはお酒と卵のお供えが一番です。ご近所のHさんが今日のお供養に使って下さいとお供え下さいました。辯才天様の眷属の頭領は「宇賀神」様は「人頭蛇体」だからです。ありがとうございます。

☆大阪のAさんが「かぼす」を沢山お供え下さいました。ありがとうございます。