言葉は神聖

おはようございます。

言葉の大事はよく書いております。私は自分が変わりたい、進化させたいと思い修養・修行してきました。それこそ30代から40になるまでは昼夜問わず、視野狭窄では?と思われるような、自分が変わることだけを考えて歩んで来ました。
その過程で多くの人との出会い、ご縁をいただきました。人と出会おうなどと考えて修養、修行、学びをしていたのではありませんでした。ひたすら祈り、祈りの言葉に忠実に従い進化するという日々、一途に物事に対し熱中する時期は必要ではないでしょうか。言葉は「心の準備を教えます」「言葉は覚悟を教えます」「思考を深めます」「言葉は行動に於いて何が必要なのかを教えます」。
信とは「人の言」です。私は師の言葉、教えを信じました、今でも信じ、教え、言葉を「頼りにしています」。「従うという明快な道を歩み、今は以前より大事に思っています」。古来から伝わる計算法に従い計算するが如くです。
言葉を頼りに、教えを頼りにしないようでは、言葉を発する人間として、人間を馬鹿にして、軽んじているのです。例えが違うかもしれませんが「武士に二言はない」という思い。一つの言葉を信じない者は、何百何千の善言に会ったとしても、出会いはないのです。言葉と出会わないということは「人と出会いがない」。人とは言葉を交わして出会うからです。
「覆水盆に返らず」、一旦口から出た言葉は返ってきません。それくらい言葉は大事です。自分の精神・心を現すからです。「多言は知らずとも」言います、ベラベラしゃべる人間に限ってできない、行動しない人が多いものです。言い訳と嘘は最もいけない。
言葉を大事にしない人は自分を大事にしない人でもある。自分を大事にしない人の側には人は集まらないのが道理。それは「自分で人様を欺いているから」です。
人生は一生をかけて「自分をうち立てることと教えから学びました」「一生修行ということ」です。栄誉にとらわれて堕落する、褒められない、認められないから止めるという人を多く見ています。
言葉には「力があります」それは「自分を進化させる」「人様に影響を与える」等々。だから虚言はいかん。言葉をお経を弄(もてあそ)んではいかん。虚言を弄(ろう)すれば言葉によって運から見放されます。言葉は言霊(ことだま)です。
言葉で感動する自分の心を知り、悲しみ、喜び、怒りを知り、魂の存在も知りました。そして、このように日々書かせてもいただいております。言葉は感動を紡いでくれるのです。言葉とはそれほどに神聖で尊いものなのです。
今日もご一緒にお祈りしましょう。自分を守り豊かにする楽しいひととき、午前10時から愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」祈り愛。言葉を大切に週末を過ごしましょう。
今日から明日夕方まで心華寺では一泊二日で「M&Uスクール」が開校されます。受講生のみなさん、明日夕方までご精進ください。梅谷忠洋学長二日間ご苦労様です。留守をしていて申し訳ありません。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の扉を開けます。
☆心華寺で参籠修行をしませんか、非日常の空間に身を置き、作務(掃除)、読経、坐禅、写経、五感の対象をすべて聖典に置き、自身との対峙。新たなあなたが見えてきます。
愛宕寺の玄関でお待ちしております。