易行道

おはようございます。

昨日お昼前に下関・愛宕寺に入りました。日々ゆったりと仏の道を歩んでいます。比叡山修行時代からお師匠様に「如法(にょほう)」に行ぜよと教えていただきました。要は教えの通りに歩み暮らすということです。教えに従って歩むことはとても簡単な事で、それを「易行道(いぎょうどう)」、教えに従うことだから「易(やさ)しい行、易しい道、易しい暮らし」ということです。
素直に教えに従えば教えの世界に導かれ豊かに暮らせるのですから最高の道です。ですから私のような者でも歩んでこられました。日々愉快に歩むだけ。
御仏の教えの中で大切なものが「慈悲喜捨(じひきしゃ)の四無量心(しむりょうしん)」。
慈無量心=「慈しみ」、相手の幸福を望む心。あらゆる人に深い友愛の心を限りなく配ること。
悲無量心=「憐れみ」、苦しみを除いてあげたいと思う心。あらゆる人と苦しみをともにする同感の心を限りなく起すこと。
喜無量心=「喜び」、相手の幸福を共に喜ぶ心。あらゆる人の喜びをみてみずからも喜ぶ心を限りなく起すこと。
捨無量心=「平静」、相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指す。いずれにもかたよらない平静な心を限りなく起すこと。の四つです。
四無量心とはまったく逆の思いをしていた幼少時代は暗黒の時代でした。どの人も、どの人を見ても、面白くない、日々を楽しめない。心貧しい惨めな時代。
何故逆の思いをしていたのだろうと考えました。それは「我利」、自分の事しか考えられなかった。「自分だけが辛い目をしている」「自分だけがしんどい」「自分が正しい」という「人様を恨む思い」「自分の事しか考えられない」心が出口のない光明の射さない暗黒を生んでいたのです。
道を知り、「痛みにうめく人がいれば、自分が痛みに耐えかねていたことを思い出しました」。そして「何とかしなければと、思えるようになったのです」。生きていて「痛みを経験しない人はいないはずです」。いないどころか日々「痛みを感じて生きている人は大勢いるのではないでしょうか?」。
今、イジメを受け不登校になったり、引きこもったり、貧困に苦しみ、悲しみに沈んでいる人も沢山いるのではないでしょうか。
自分が経験したことのない痛みはわかりませんが、耐えがたく辛い痛みを経験した人だけがもつことのできる深い愛情のことをお釈迦樣は「悲」と名づけられたのです。その心を誰にでも分かち与え救い合い助け合う社会を実現するために説かれたのが四無量心です。
吉田兼好は「徒然草(つれづれぐさ)」の中で「友として親しくするのによくない人の七箇条をあげています」。
「嘘をつく人」「欲の深い人」「地位の高く貴い人」「病気した経験の無い生まれつき身体壮健の人」「若い人」「功名を目指す武士」を上げています。これらの人は「人の痛みに鈍感な人」だからと言っています。
ある冒険家の言葉に「前向きな人は下品だ。過去を振りかえられないから下品でいられる」と言った言葉はある意味では的を射ているかもしれません。何故かと言いますと「前向き」を「前だけ向いている我利我利亡者」と言い換えることが出来るかも知れません。「左右と後ろ、周りを気にしない人は鈍感」だからでしょう。
人よりも、という我利、人を自分の出世の道具にしか思わない、人の痛みのわからない、自分の苦しみしかわからない鈍感な人間にはなりたくないと、幼少年時代を思いしみじみと恥じています。
我利に走り人を責め、虚勢を張るのは他者を思いやる心がない弱い人間だからだったと、四無量心を知り大いに気づかされました。
新入社員の皆様は入社して半月を過ぎ、いろいろな痛みや苦しみを経験したのではないでしょうか、だからこそ痛みを分かち合える人間性に目覚めフォロー、カバー、ケアー、サポートの四無量心を互いにして未来へ歩んでいただきたいと願っています。
4月最終週とも言えます。ベテラン社員の皆様も若い頃の経験体験を思い起こし、若い皆さんを導いてください。今週は四無量心を思い歩んでいただければと願っています。豊かな一週間でありますことをお祈りいたします。
昨日まで心華寺で開校の「M&Uスクール」受講生の皆さんお疲れ様でした。久しぶりにお目にかかれて嬉しく思いました。来月もご出席をお待ちしております。
明日24日は下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時から厳修いたします。祈り愛の日、お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の扉を開けます。
☆心華寺で参籠修行をしませんか、非日常の空間に身を置き、作務(掃除)、読経、坐禅、写経、五感の対象をすべて聖典に置き、自身との対峙。新たなあなたが見えてきます。
人生は行き先を決めたとしても、道中、どのような出会いがあるかわかりません、どのような出会いがあったとしても、動じない自分を作っておきましょう。
◎皆さんのお力添えで愛宕寺の玄関が板敷きに改装できました、皆さんありがとうございます。きれいになった玄関が皆様を明日お出迎えします。



きれいなバラも。