再誕

おはようございます。

 9月、長月よろしくお願いいたします。
8月18日より約二週間ブログをお休みさせていただきました。今月の陰暦名ではありませんが、夜が長く感じられる時は人生の四季の中にもあります。お休み、休憩をいただきました。
 お休み中多くの皆様に暖かいお言葉、メールを賜り感謝いたします。お返事もせず、大変失礼いたしました、お許し下さい。皆様方の有り難いお心を改めて感じる幸せの二週間でもありました、ありがとうございます。
 昨夜来、時おり目覚めるような雷鳴と強い雨が降っておりました。何ごともないことをお祈りいたします。今の時間も雷鳴と雨が続いております。
 「石中(せきちゅう)に火あり、打たずんば出でず。人中に仏性あり、修せずんばあられず」。という禅語があります。
 二週間いろいろ考える楽しい時間を過ごしました有り難いことです。有り難いことばかりです。
 人生歩む上に於いて同信・朋友ほど善きものがあるでしょうか。ことに苦しい修行の道を歩む修行者同士は、「道友」として互いに切磋琢磨する仲間です。そういうときお互い師友であります。
 多くの友達に恵まれている人もあれば、孤独を愛して自分一人で行動している人もあります。それはその人その人の個性によることで、どちらが望ましいというものではないでしょう。ただ、個性の違う友人を幅広く持つことによって、自分の生き方についての広い視野が開かれることは、間違いありません。
 友人の見せる個性ある行動、何気なく口にする言葉の端々に、「思わずハッとさせられるとき」、自分自身のなかに今まで知らなかった新しいものの考え方が芽生え、知らず知らずのうちに人間性が深まっていくのです。
 「切磋琢磨(せっさたくま)」ということは、一つのものでも多くのものと擦(す)れ合うことによって、お互いが自然に磨かれていくということです。どんな素晴らしい宝石も、ただそれだけでは、磨かれて光を発することはないです。
 禅語に、「石中に火有り、打たざれば発せず」というのがあります。冷たい一箇の石も、火打ち石のように二つを打ち当てれば、火が出る。その火はやがて世界をも焼きつくすようなエネルギーとなる。ただ放置しておいただけでは路傍の石に過ぎません。自分の師であるような友を持つこと、また様々な事象は、人間となるために是非とも必要なことなのだと、二週間しみじみと楽しく考え、思いを巡らせていました。
 人生必ず何かに当たります、それは新たな火が生まれることを思い過ごしましょう。学問でも仕事でも人生でも、困難なところへぶつかったら、これをじっと考える。「石の中に火がある」、「打たなければ出ない」。どのように打つか、さあ、どう打ったら石中の火を発することができるか、さあ、さあ、さあ、こんななぐあいに工夫するのです。すると(万事とはいかないでしょうが?)、「たいていの場合打開の途(みち)がつくのです」。そして新たな夢となるのです。
 古希を過ぎ71才、ようやく「覚悟ができたようです」。今までは口先で偉そうなことを言っていました(こうやって書いているのが嘘くさく、眉唾ものですが)。この度は魂が打たれた爽やかさを覚えております。ブログを書いて20年一日も休むことなく書き続けるという意地も消えたようです。これからは淡々と書いてまいります、お付き合いいただきお訪ねいただければ幸いです。8月ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
8月29日〜昨日31日まで開催されましたCMA様主催「阪和興業株式会社様新入社員様フォローアップ研修」二泊三日、ご参加の皆様ありがとうございます。皆様のご活躍をお祈り致します。是非今度はお一人でも参禅に入山ください。ありがとうございます。
 明日は幸いなことに9月第一日曜日、心華寺・金港辯財天様「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。同信・同行の皆様との祈り愛、いろいろな方から、打っていただき新しい自分と出会える楽しい一日です。
 再誕の思いをしております。ご一緒の祈り愛お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌