自分を制御する

おはようございます。

 「にんげん学」小倉講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。心学の素晴らしさは「アドバイスを素直に受け容れられるようになることにあります」。そして対人関係で大切な寛容さ、柔軟さを学べることです。いってみれば頑固にならない。愚かな争いはしない。
 数字で表せるものや、物を作るという知識や技術はできあがることによって、その良否は歴然としていますが、「心の問題」だけは、なかなかに難しいものがあります。ここに、「修己治人(しゆうこちじん)(己を修めて人を治める)」の自覚が大切となるのです。いわゆる教えを守ろう、身の上で行おうとする矜持(きようじ)です。矜持とは「自分の能力を信じて抱く誇り」「自尊心がある」「自負」「プライド」のことをいいます。
 しかし本来は、その上で「自分を抑制する」「自分をおさえつつしむ」という意味が含まれています」。ここが心学の「要」です。
 カリスマ性のある人が晩節を汚すのは一様に「慢心・無知」により矜持を失うのです。いかに「人を意識できるか否かです」。権力者になりますと、矜持も善も何も無くなり、人に対して押しつけるだけとなる、独裁者に成り下がるのです。
 人間、万物は無に帰することを知らねばなりません。周りにライバルの多い時期には無意識に用心しますが、好き放題のことを言えるようになりますと、自ら墓穴を掘るのです。 老子第一章で「常の道は道にあらず、名は常の名にあらず」と教えました。最初からCEO最高顧問ではないのです。赤ちゃん、幼児、少年、青年、壮年と言うが如く変わるのです。
 肩書きや地位で人間ができてくるという事実も否定しませんが、このような外的要因で人間が変わるようでは、矜持とならず慢心するのです。
 出世することは悪いことではありません、また人は過ちも犯します。だからこそ道理は非情であることを知り、情理を以て人に対する事を学ばなければいけないのです。リーダーが豊かになれば多くの人を豊かにし、貧しければ多くの人を不幸にするからです。
 修己治人、矜持の人、利他の人生の人と、我利の人生の人の「特質は違っています」。「我利の人の特質は、罪を知らず、それをやめようとせず、罪を知らされるのを嫌がります」。
 「修己治人・矜持の人、利他の人の特質は、善悪を知り、悪であることを知ればすぐやめ、悪を知らせてくれる人に感謝するのです」。
 このように、修己治人の人、矜持を持つ人、利他の人と、我利の人とは違っているのです。
 愚かな人とは自分に示された人様からの親切に感謝できない人です。いくら知識や技術を持っていたとしても、名は常の名にあらず、状況が変われば、呼び名も変わるのです。愚かというしかないのです。
 一方矜持を持ち、修己治人を旨とし、利他に生きる人は、常に感謝の気持ちを持ち、直接自分に親切にしてくれた人だけではなく、すべての人に対して思いやりを持つことによって、感謝の気持ちを表そうとするのです。
 このような人は、我欲で社会を見るなどという愚行はしないのです。矜持がそのような愚を許さないのです。
 今夜は「にんげん学」神戸居酒屋講座「論語を読む」です。南薩摩旨いもん、キリシマ山荘さんでお会いしましょう。今日は矜持ということを考えお過ごしください。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※運命相談。辯財天秘法姓名判断。家相、地相の相談等々ご相談ください。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。したいけど、できないから相談することの勇気が未来の幸運の扉を開けます、ノックをしましょう。尋ねることを知恵、自明の人(自分に明るい人)といいます。
✩「にんげん学」小倉講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。