コントロールする喜び

おはようございます。

今日24日は下関・愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」皆さん是非お参りください、午前10時からです。
昨日書きましたが祈りは「静かな躍動感・自信」を確実にします、
又自分を「確かめる」ためにも大切です。

人は何か道具を使いそれが上手く使えるようになりますと喜びを感じます。
車の運転でもパソコンでも同じ事が言えます。
何かをコントロールできることの喜びです。

逆に上手く使うことが出来ませんと苦痛にも感じ嫌気がさしてくるのも事実です。
だからこそ上手になっても「鍛錬」は大事なのです、
なぜならば最初から出来る人はおらず、最初は出来なかったからです、
だからこそ出来たときの喜びは一入なのです、その喜びを忘れてはなりません。

だがほとんどの人は出来てやめる、もうできると。
そして出来なかったときに出来ていたはずなのにと言って不思議がり自分に不信を持つ、
当然のことなのです。
上手くできるようになってからがその人の「本質・品性」なのです、
鍛錬を「続けるか否か」です。

また出来るようになったのは「鍛錬を続けたから」ということを「知るべき」であり、
その「知ったこと」を「知性」とも「教養」ともいうのです。
知性を持ちますと人は「謙虚でありながら積極的行動性を持つようになります」、
何故かといいますと、「自分を」しっかりと「コントロールできる」ことが人としての「一番の喜び」だからであり、
順序としても内なる心を先ず調えることが大事だということを「知り目覚める」からです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌