下問を恥じず

おはようございます。

昨夜は「にんげん学」京都講座、ご参加の皆さんありがとうございました、来月もお友達をお誘いの上是非ご参加下さい。
京都の町も祇園祭の準備で何かいつもと雰囲気が違った様子でした。暑さが厳しくなってきますくれぐれも夏ばてなどしないようお互い注意をしていきましょう。

人生、山あり谷あり、夏の暑さ、冬の厳しさがあります、どちらにしましても自分を見失わないことが大事です、とは言いましてもなかなかに難しいですね、楽しいことが有ればそれがずぅ〜と続いて欲しいと願うのは人情ですし、困ったときはどうしようかと気が動転してしまうものです、どちらにしても「己を見失っている」ことに違いはありません。

何故気が動転するかと申しますと「人はどう見るか、見ているか」が気になるからです。いわゆる「人を気にしている」ということで「集中力」を無くしてしまっている。
そこでです、誰でも苦楽に遭えば気が惹かれ迷うのは当然です、では楽しいときと苦しいときのどちらに心に余裕があり、人の言葉を受け入れやすいかといえば、当然楽しいときです。
苦しいときは「人の言葉は耳に入ってこない」のです、そこに大きな「ポイント」があるのです、「従う人を持つ、もしくは従う理念を持つ」いずれかです。困ったときにこそ「考えず」に「従う」という原則を持つことなのです。

「下問を恥じず」ということがあります、「聞く」ということです。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」を徹底することです。「やり直す」ことが出来るかどうかは自身の「熱き思い」です、どうぞお尋ね下さい、そうすることで停止していた頭脳が廻転を始めます、困ったときには思考は停止してしまうことを忘れずに「聞くこと」で「再確認」することです、
聞くときの姿勢があります、「都合の良いことを聞きたがらない」ということです。何れにしましても「保身という」無意識の心のこだわりがあるからこそ悩んでいるのです、私たちが身につけなければならない心得の一つが「聞く」ことなのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌