和を以て積極的に

おはようございます。

お盆休みも終わり無事お帰りなられたことと思います。お盆中には靖国等々何やらご先祖様も落ち着いておられないような感じでしたが、皆様は心静かに手を合わせられたことと思います。

日本のナショナリズムは元来「和」であり、争いを好まないものであります。
聖徳太子も「和を以て貴しとなす、忤らうことなきを宗とせよ」と言っておりますが如く、この「和」が本来であるにもかかわらず何で昨今このような問題が起きるのでしょうか。

私が修行しました比叡山は「八宗兼学」(あらゆる宗教を兼ねている、包含しているという思想)です。
比叡山開祖、伝教大師最澄聖人は「一目の羅は鳥を捕らうる事能わずとも正しく之を捕らえるは羅の一目のみ」といっておりますように、
一つの網の目で鳥を捕まえることはできない、沢山の網の目があってこそ網という働きがあり、それで一目の網の目で鳥を捕らえられるのだ、と教えておられます。

一目というのは宗教や教えが沢山にあるということは、どれが優れていて劣っているというのではなく、国民一人一人を幸せに導くために様々な学問、宗教があるのであって、特定の一つの教えが勝っているからではないという事に目覚め、力を合わせることが「宗教」の徳目、眼目なのだということなのです。

日本が「大和」を表することがこれで理解されたと思われます。人欲で自分が優位に立つために学んでいては「権力思想」が増大するばかりで、口先で正しいことを言ったとしても「和」を根本としなければ争いの種をまき散らしてしまうのです。

日本ほど争いの少なかった民族は希であり、科学文明が津波のように押し寄せて来てからというものは、どこか「物質一辺倒の病に冒されてしまった観が」あります。
地位や物がなければ安心できないというような愚かしい考えに囚われることなく、ゆったりと、そして夢に向かって歩もうではありませんか、

人と争うことに懸命になるなどという非建設的な人生ではなく、和を以て積極的な人生を歩みましょう。
明日は「にんげん学」東京講座です、心に透明感を持ち爽やかに歩みましょう、会場でお会いすることを楽しみに致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌