天の邪鬼

おはようございます。

日中、蝉の声が随分少なくなりました、うるさいほど鳴いていたのが静かになると何か妙な気もしてきます、そこに虫の声はやはり寂しく感じます。
しかしそんな自分の気持ちも勝手のような気もしないではありません、人間はわがままで天の邪鬼にできているのかもですね。
暑いときは早く涼しくなれ、寒いときには暖かくなれと。
しかし人様に対する心は天の邪鬼ではいけませんね、称賛するときには称賛するでなければ、また注意すべき時はするというのでなければ、そうはいっても難しいものです。
人を誉め讃えたり、注意するというのは、これを煩悩というのでしょう、いつまで経ってもこればかりです。
だからこそ「行動」が大事なのでしょう、考えるというのと悩むというのでは天地の違いがあるようです、悩むというのは「情」で考えていること、いや、考えているのではないですね、やはり悩んでいるのです。
堂々巡りをしているといっても良いのかも知れません。
考えるというのは「客観的」なことです、「出来ていることと出来ていないことをハッキリする」ことは客観的でなければなりません。
自分を測るときには「客観的」に、人様を見るときには「情」で、このようにあれば素直に誉め讃えることも注意することもできることでしょう、逆であってはなりません。
自分に甘く、人には厳しくでは悩みは増すばかりです、自分に厳しく過ぎるのもよくありませんが、それは「夢」を持っていれば過ぎることはないでしょう。
理に即して行動し、行動を「信じ」、客観的に己を見れば人との無意味な競争などはしなくなるものです。また真実夢があれば素直に人を称賛するという豊かな情も自然具わるのです。
時々出る己の天の邪鬼の心をこのようにしながら反省をしております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌