プチ修行

おはようございます。

今朝は爽やか、8月も今日で終わりです、今月もご愛読ありがとうございました。夏休み、お盆といろいろお忙しい中毎日お読みいただき感謝申し上げます、本当に嬉しいですね、これからも是非お読み下さい。そして時にはお寺にも来てみて下さい、プチ修行もいいものですよ。
昨今はいろいろなブログがあり、それらを読みますと如何に私は時代調な書き方をしているのかと驚いております、が、不慣れなことは出来ませんし、若い人のような表現も真似ようとも思いません、これで良いとは思ってはおりませんが、このような表現しかできないのですからご容赦下さい。
「プチ修行」などと書きましたが本当に皆様にお出でいただきたいと願っております。
何故かと言いますと安易に新興宗教に勧誘され、勧誘されたことも分からなかったではマスコミ報道のような悲惨な結末になってしまいかねないからです。
結構皆さんは「惑わされない」とご自分の「こころ」に自信があるように思っておいでになる方が多いのではないでしょうか。でも「こころ・感情」ほどコントロールすることの難しいものはないのです、ご存じですか、このことを、
仮にです、大勢の仲間と一緒にいるとします、その中で大多数の人があることに賛成したとします、そんな中であなた一人反対、と言えますか、現実でです、そう反対は出来ない雰囲気があるのです、ここが問題なのです。そこには「客観的論理」は通用しないのです、客観的論理に立って如何に「心・感情」を「コントロール」できるか、していくかが「問題」なのです。
これはなにも宗教問題にかかわらず、普段の仕事に於いても同じ事が言えます、なぜならばこの世の処世は「レスポンス」だからです。
「応対・対応」が全てを「握っている」のです、応対、対応の良し悪しで「人生の方向が決定」されると言っても過言ではないからです。
知識は学んでも「情の知識を学んでいない」のが昨今の実情です、いわゆる「人に対する思いや思いやり」であり「観察眼」、それと同時に「自分を観る目・心を養っていない」のです。だからこそ「自分だけは」といった思いが強く「振り込め詐欺」等々に引っかかることとなるのです。
このような極端な例ばかりではなく、危機管理さえ出来ていないのが現状です。「怖さも知らない、よい子が多い」のです。ここで言う「よい子」というのは「悪い子と思われたくないよい子のことで」常識を知らないと言っても良いかもしれません、だから「あんなに良い大学に行っているのに」という人間性とは何ら関係のない会話になるのです。
いくら知識があっても「人間性」とは何ら関係がないのであって(極端な言いですが)人間性とは人の本質的な部分であり、「極」に直面したときに現れるものなのです。ですから極面にあってさえも人を殺したり、傷つけたりが平気で出来るのです。
普通常識のある人間であれば人殺しなど出来るはずはなく、傷つけたりもしないのです。このように「人の弱み」につけいるような事態に陥ったとき常識を失わない「人としてのコントロール」に「気づく」ために「プチ修行」をして欲しいと願うのです。
修行は決して楽しくはありませんが、「真の悦び」に目覚めます、これが本当に「楽しい」ことなのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌