繁栄は察することから

おはようございます。

お彼岸も済み涼しくなってきました、皆さんもお彼岸に限らず日々ご先祖様やご神仏を大切にしておられることでしょう。
ご先祖様ご神仏を敬うことは大切です、何で大切かと申しますと、ご神仏やご先祖様は「言葉を発しない」からです、私たちの一方的な行為、今日まで言葉を発することもなくくり返されてきた中に「意を汲む」そこに「大切さ」があるのです。
「察する」ということ、人は「情けをかけて貰うことほど嬉しいことはありません」この情けを行動にする「糸口・緒」が日々の「感謝の祈り」なのです。ご先祖様があったから私たちがあるのですよ、とはよく「親に言われた」ことです、この言葉を素直に聞き、「手を合わすこと」こそ「気持ちを察する気持ちを広げて行く」こととなるのです。
直接何も恩恵を受けることのない、顔も見たこともないそんな「お陰の力」を察する「力」となるのです。直接に感じることでしか感謝ができないようでは「心の豊かさも生まれず」また「人の喜ぶ」ことも「察することが」できず、「情」も湧くはずはないのです。
「思いやりや、人の心を察する」ことの出来るようになる糸口が「ご先祖、ご神仏を敬う」ことなのです。目にみえない「筋道、道理」が「手を合わす」行為によって深く大きくなるのです。
そんなことしなくとも分かるよとおっしゃる方もおられます、でも行動がなければ出来ないのです。なぜならば「尽くすという情」は「続けてこそ身に付くもの」だからです、ご先祖様やご神仏は「何も言いません」何も言わないのに「お供えをし続ける」のです。
欲があっても、いや欲があればこそ「尽くす」ことが出来ないのです、名誉や地位を欲しがっても何故手に入らないかをその人を見ますと最も身近な「ご先祖、ご神仏」に誠意を尽くせないからです、言ってみれば「情が無い」のです。
情をかけられて嬉しくない人はおりません、「かけられるよりかける人に」なりましょう。今夜は「にんげん学」小倉講座です、「仁の道」を共に実践するために学びましょう、お友達を誘ってお出かけ下さい、会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌